一乗谷 南陽寺跡庭園 尼寺の枝垂れ桜

東京の新規発症者は30人。

まだまだ先は長そう。しかし「経済」重視の「解除」の声。

うすうす結果はわかるような気がしますけど。

そして神奈川県の昨日の発症者は32人で東京より多し。

まだまだですね。

 

「感染の疑い」について「会食」が多いといいます。

横浜の息子も友人らと甚だ不遜の「大丈夫」の躰で外食に赴いているよう。

これではいつまで「相良に帰ってくるな」の戒厳令が続くのやら。

 

この頃の私と言えば「緩み」が大いに出ています。

以前と言えば奥方が購入してきた袋入りの食品・製パン類を空ける際、念入りにアルコール消毒液を吹きかけてから中身を取り出していましたが、ついつい食欲に負けて中身に喰いつくということが多くなりました。

「食べる」は場合によっては「自ずからウィルスを摂取(接種)する」のと同じになりますからね。

 

食品そのものについて100%クリアされていると信じても、そのパッケージが工場から店頭の棚までどれだけの人の手を経ていることか・・・そこのところまったく信じられませんからね。

ヨーグルトなどは冷蔵庫に数日も放り込んでおけばまず、ウィルスが居たとしても活性しにくになると、勝手に食していますが常温で「さっき買ってきた」ような品はまだまだ警戒しなくては・・・反省しました。ルーティーンはまず消毒。

 

私は最近は外塀、遮蔽木塀の塗装をしています。

「尻が痛い」と言いながら外側面はやり切りましたがここのところの強い陽差しを浴びて「不気味な風体」(奥方)となっているようです。

まぁこれもこの新コロ禍によって法事がキャンセルとなって、また床屋さんにも怖くて行けなくなったため天然パーマの長髪そして無精ひげ、その指摘を受けるのもやむなし。

道を通る人に掛けられる言葉は「熱中症に気を付けて」。

 

しかし私は陽光を浴びるのは嫌いではない性分。

そこもどこか「イカれている」(これも奥方)のか・・・。

タランティーノの映画「フロム・ダスク・ ティル・ドーン」に出てくる神父の台詞、(僧も尼も一度は必ず思うこと)「ひょっとして私はバカかもしれない」(この映画は各シーン「バカ」訳出てきます)。

その通り感じたので「神父をやめた」を思い出しました。

真面目に記せば「煩悩に押しつぶされそうな自身嫌悪」かも知れません。

 

時の経つのは早いこと早いこと。もはや夏です。

夏至も近くなって朝が明るく眩しい。

 

さて、本日も一乗谷の庭園跡。南陽寺跡庭園です。朝倉氏屋敷を見下ろす位置にあります。

こちらの庭は発掘調査によって水路が確認できないことから枯山水だったと言われていますが、この山は湧き水が多く単純にそちらに池がなかったとは言い切れません。

 

足利義昭が「義秋」を名乗った時代、一時的逃避滞在していたのが一乗谷ですがこの南陽寺で歌会が開かれたというのが有名な話。大河ドラマでも描かれる確率は高いかと。

庭園跡には、義秋と朝倉義景の句碑が建られています。

 

この庭といえばまさに枝垂れ桜(糸桜)。

桜が満開でなくてはイケないのです。その歌会が「観桜の宴」。尼寺での優雅な催しだったことでしょう。

 

最近は総理殿の庶民の税金で「桜を見る~」などの風雅の真似事の開催について見聞していましたが、もう人をたくさん集めることはどちらでも憚られる世になりました。

花、桜など大挙して集団で愛でるなど具の骨頂。 

 

 

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コメント: 2
  • #1

    がつお (金曜日, 15 5月 2020 10:09)

    東京都の発表する数字には少しカラクリがあるようです。
    これまで毎日発表されている数字はその日に東京都が把握した感染者数であって、新規に発生した感染者数では無いということです。
    原因は医療機関からの陽性報告が即日行われていないためらしいですが、そのため数日前から「PCR検査陽性者の発生動向」という数字を発表しています。
    どうもこれが本来の陽性患者発生数ということになるらしく、この状況を改善する作業を現在画策しているようです。
    他の道府県も同じ状況なのか東京都だけの特異な状況なのかわかりませんが、未だに東京都は当日の生の数字を把握できていないということです。
    東京では連休中の自粛状態でようやっと1週間で10万人あたり0.5人という基準をクリア出来るかどうかなのだと考えるとまだまだ、緊急事態解除の道のりは遠いような気がしています。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 15 5月 2020 11:46)

    ありがとうございます。
    仰るように私もその発せられる数字のカラクリについて思うところあります。
    この時代報告をあげる保健所の書面が手書きFAXというところからのやれやれ感
    オリンピックやりたさの過小計上の如くも感じられすべてが信じられなくなっています。
    その「数字」について一歩離れたところから眺めさせていただいています。