大桑城跡石垣と竪堀 城址を見て越前を即とは・・・

昨日の東京は39人。

一昨日同様私どもは浜岡の叔母宅の掃除。

私は外で放置していた門扉の修復にもかかりました。

部材は昔お寺で使用していたもので10年はそこいらに投げてあったものですがそれを持ち出して装着。

当然に観音扉の左右の高さは合わずデタラメのやっつけ仕事でした。

奥方がため息ながら漏らした言葉は「あれだけキレイ好きだったのに」です。人は齢を重ねると「みんな同じだよ」と私。

特に一人住まいだとそうなりやすいのかも。

最近はお風呂にも入りたがりませんね。しかし無理に「入れ」というのはやめました。一人住まいですからね。

 

尚、先日門前で立ち話した方は「風呂に入らなくても死にはしない」と。

この件、どちらにおいてもその傾向はあるのかとは思いますが、ここ相良では「風呂で亡くなる」という事例が多々あって私もいろいろな場でそれを耳にします。

それは飲酒後が圧倒的に多いようですが飲酒ナシの場合も結構にあるようですから単純に入浴時は要注意。

まぁこれからの季節は大分そのリスクは緩むとは思いますが。

 

驚いたのは地頭方のごみ処理場。

連休中、というか自粛中というかどちらの家庭でやっていたことといえば家庭内大掃除だったことがわかりました。

午後一番に搬入した際、3つの開口部の一つは溢れかえっていて投入はできず、残る開口部から目に入ってきたゴミの山は殆ど満杯、パンク間近という状況。

私が長年お世話になっている焼却場ですが、これほどの処理が追いつかないほどの「ゴミの山」を見るのは初めてのことです。

来週にも一気に叔母の家を片付けようと思いましたがヤメておくことにします。

晴れの日は当分自宅で塗装の仕事に専念します。取り寄せていた塗料が届いたことですし。

いや小屋裏に入るのが先か・・・悩みます。冷静に優先順位を考えればそっちか・・・

 

さて、大河ドラマはどうやら越年せず、年内終了の線で決まりそうとのこと。シナリオを相当削っての書き直しになるのでしょう。理由は撮影作業は「三密になる」ということ。

 

そして今回5月10日で一旦の区切り。斎藤道三が大桑城から長良川に討って出て息子高政(義龍)との親子合戦に敗れるという展開です

その大桑城について城址登城の楽しみというかその醍醐味といえば竪堀、石垣、各曲輪の残存状況の確認ですね。

 

先日記した切井戸にもありましたが「石垣」の存在は丁寧に掲示板で教えてくれていますしその他遺物の存在もしかり。

ただし2コースあるうち下からへろへろになって登るコースでなければ満足できるものではないかも知れません。

 

ということで私が登城した時の記憶を絞り出して登城口からの見どころを少々記します。

 

1/3過ぎた辺りに出くわすのが番所跡(岩門)。周囲より高くした段状の遺構があって石垣も見られます。

山県市の案内文によれば「石使い」について越前一乗谷の影響を受けた痕跡とありましたが・・・

一乗谷朝倉義景邸裏など各庭園跡に散らばる「石」たちを見ましたがそれはあくまでも城下の屋敷ですからね。

 

ただし美濃土岐氏と越前朝倉氏との交流は濃いものがありましたのでそのように考えるのは正当かもしれません。

やはり明智光秀が越前朝倉を頼ることになるのはその線からですね。

 

曲輪、竪堀、石垣等々掲示板がありますので要注目です。

ただしあの時私は「曲輪群」(主郭手前辺りの台所曲輪の近く)のそれぞれをひとつひとつ確認しようという気力は残っていませんでした。

 

尚、石垣に関して先日も記しましたがそれらは崖です。

そそっかしい私は足を滑らせて思わず声を出してしまうシーンがありましたがそれを確実に画像に収めることは空中にでもいない限りムリな話。

滑落したとしても誰も助けに来る人は居ませんね。

 

石垣は崩落しつつ現状維持はされていますが、いずれは土砂の中・・・という感じがします。

 

本日は拙い画像をたくさん。重たくなって申し訳ありません。

 

 

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コメント: 4
  • #1

    野村庄右衞門幸正 (土曜日, 09 5月 2020 12:08)

    読んでいて懐かしい名称が、竪堀。
    昔、富士市でひとり暮らしていた頃の最寄駅が身延線の竪堀駅。

    確かに駅の近くに堀があったなと、今思い出しました。

    その堀自体は歴史は関係無さそう。

    ただ、その近隣に岩本実相寺があります。その竪堀駅周辺の地域はそれなりに歴史が残っていそうな感じですね。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 09 5月 2020 12:57)

    ありがとうございます。
    地図を広げてみました。竪堀の地名は侮れませんよ。
    まずそれは潤井川の事を言っているのかと思われます。
    その川が意図した人の手で作られていたかどうかは不明ですが
    この川によってこの地は富士川との中洲というカタチになって
    また東西の軍勢の移動を阻みます。
    古刹実相寺を城塞とすれば絶妙な「堀」となるかも知れません。
    甲州攻め手の経路上にあることですし対北条勢への配慮も考えられる場所ですね。

  • #3

    くりくり (土曜日, 09 5月 2020 20:39)

    家でできることって
    掃除ですよね。自分でやればいいのだけど、妻にやっておいてと言われてやりますね。
    ほかにやることはなくて、どうでもいい菜園見回ってごまします。

  • #4

    今井一光 (土曜日, 09 5月 2020 21:03)

    ありがとうございます。
    ところがその掃除の件、やろうと思えばまったくキリがないほどありますね。
    いかに日頃サボっていたかがわかります。
    いろいろなこと、他の事自分の事・・・知らされています。