岩船寺墓地 歴代墓 笠つき石龕仏 ミニ

昨日の東京の新規感染者は89名。

ここから減っていけばいいのですが全国では3日で1000人(昨日は333人)も増えていますからね。

 

情報公開にしろすべてが後手後手になっているのはやはり危機意識がナイ、浮世離れの一言に尽きます。

今回の「アベノマスク」とやらの処断もだれかに知恵を付けられてからのスバラシイご発案だったようですが、この件でこれまでのすべて色々がそんな感じの「裸の王様」的発想だったのかとがっかりもかなりの域に到達。

改めて政治の低レベルを見せつけられたわけですが要は「できる」はずなのに失敗と汚名(昨日の「泥」)を恐れて日和見となる傾向です。

 

それでいてお頭の中は短絡。

回路がショートしているというか経験少ないのか無知なのか国民の殆どの人が思うことは「バカ」・・・。

 

たとえばマスク不足の件では転売の違法化について決めることも遅くてまた決めてからの猶予も期間がありすぎでした。

転売不届き者へのペナルティもなく見せしめがナイのでその手の連中は懲りないですね。

手を変え品を変えまた社会の足を引っ張りますからね。

形式的でも「罰」は作っておかないと・・・

人間は「懲りない」生き物。他の動物と違います。

数度の学習、小知恵をつけて「アレンジ」しますからよりタチが悪いのです。

 

宗旨的にいってそこに「気づき」と反省があればベストなのですが、ソーリ殿はそういったこと含めてすべてに「気づき」がナイ。反省の弁など絶対に口から出ませんね。

泥かぶり御免の戦隊ヒーローでなくてはいけないようですが我々はそんなものを望んでいません。

 

そして、問答無用の政府によるマスク買い上げ、配給などの完全管理などは理由を付けての「できない」の一点張り。

台湾などできているではないですか・・・

 

今回それこそ「私の責任」と胸を張ってやるべきでした。

そして未だマスクが出回らない理由を追求して欲しいものです。

「あなたがたのうちのだれかがガメって、稼いでいるのでは?」

などと下衆の勘繰りをしてしいます。

ただの被害妄想ではないような。

 

そして発症者の感染起因の探求。

「わからない」「しらない」人ばかり(感染経路不明)が増えているのは「黙秘」なのでしょうね。蔓延もここまでくると仕方ないのかも知れませんが。

 

どこで感染したかの心当たりですが「発症者当人の希望で」もあって公開されません。

それが公開でるかできないかでは、社会の対応に関わってきますし「本当の事」が知りたいのです。

ところがそれは秘密にされてしまうのですね。

 

夜の遊興等、いかがわしい店(なんば花月風に)での感染の疑いがあったとしたら・・・「どこで・・・」と聞かれても「わからない」と返答するでしょう。お店の御常連でしたらお店にも迷惑がかかりますからね。

それが感染ルート調査の限界。

 

プライバシー、個人情報の壁とはいいますが、そういった最低限の情報を隠すことに刑事罰をちらつかせるなどして周知させなくてはならないレベルでしょう。

「わかりません」「知りません」「言いたくない」で済ませていいのでしょうかね。

こういった件は強制力と「嘘がバレたら」のペナルティを設けることは必要だったのでは。

 

政治もノー天気なら国民も同じ。少しくらい時限的強制力があったとしても協調はできますね。「自粛」というものはそもそも人間は苦手なのです。

とはいいながら、当流宗旨に戒めと強制はナイのでした。

よって私に愚痴は言えても説得力まったくナシ。

 

て、昨日は笠ありの石龕仏について記しましたが、岩船寺墓地といわれる森の中、突き当りの土葬墓の手前に岩船寺歴代の墓地があります。

新装の五輪塔が目に入りますがその裏側に小粒ながら古式石塔の面々が集合しています。

手前側の石龕双仏の上に辛うじて笠が載っています。

この形式は軸部と笠のパーツに分かれますので往々にしてバラバラになってしまうもの。

よって軸部で笠が無くともかつてはそれがペアであって今は失っているのかもしれない・・・と。

石龕双仏の後ろに控える五輪塔レリーフもなかなか素敵です。

 

この道の各所見やれば、墓塔パーツがゴロゴロと転がっています(場所はこちら)。

浄瑠璃寺から岩船寺に向かい、岩船寺手前の岩船寺口T字路を右折したところに公民館がありますが、その裏の道を行きます。

距離は200m程度でしょうか。

 

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コメント: 2
  • #1

    がつお (土曜日, 04 4月 2020 12:30)

    政府政治家の考え方の根本的な誤りは全ての対応策を役人に考えさせるということですね。
    だから官邸に取り入りたい(出世したい)役人の口車にのってしまう。
    マスクの件で言えば市中に月間36億枚(国民一人に一日一枚)作るとしたら何が足りないのか、どうしたら調達できるかまでを製造業者に聞いて、配布方法を含めてそれを実現させるための方策を役人に考えさせる。
    民間が提案した方法が国として公平性を保てないとしてもそれを実現させる決断をするのが緊急時の政治の仕事ではないかと。
    結果、国の施策として平等性・公平性に欠けるからと言っているから、国民に布マスク2枚配布して洗って使えなどという施策しか思いつかない。
    役人に創造性を持った発案を求めている時点でかれらの仕事は間違っているわけで、非難は事態が収拾した後で受けて立てばいいと思うんですけどね。
    官僚は物事を覚える力は高いですが、物事を作り出す力はほぼ無であるということをきちんと理解した上で彼らを使いこなしてほしいと思う今日この頃です。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 04 4月 2020 20:36)

    ありがとうございます。
    すべてに「御意のとおり」。
    「浮世離れ」とは記しましたが今の政治主導者にはわたしどもが一種羨望する
    ような心の豊かさ、清廉さといった類のものは持ち合わせていませんね。
    わが身の名誉の維持のみにすべての労力を傾注しその他の事に無頓着というか
    「無知」を露呈させます。
    平時の政にあってはそういう輩であったとしてもボロを出さずに平穏に
    やり過ごせることができることがわかりましたが、しかしそういった「ぬるま湯」
    に浮かんでいるというか浸かっていると外でその温もりを保つ裏方の「風呂焚き」の
    苦労は忘れます。
    今、風呂焚き、飯炊きの庶民が七転八倒している姿を見ているはずなのですが
    それにどう対応していいのかわからない。
    それこそが「浮世」の人とその立場を享受したいとゴマすり、垢すりの連中が集まって
    いるというのが今の中央なのでしょう。
    浮かばれないのは庶民です。