崩落ならぬ法楽 暗がりの中 山添のほうらく地蔵

東京はいよいよ「感染爆発」寸前の様。

昨晩のニュースでは新しく感染者が41名も出て、都知事が夜間に緊急の記者会見をしていました。

どこで感染したかわからないといった人たちばかりでもうお手上げなのでしょうね。

早いところ感染して免疫を付けた者勝ちの如く。

爆発してからでは人工呼吸器が無いのですから。

 

危機感の発信なのでしょうがそれにしても的を射ない内容でした。「責任」を取ることはしたくない・・・ということが見えています。よって「やんわりお願い」的なものになってしまうのでしょうね。

 

たれもかれも、せっかくゲットした地位にしがみつくことばかり注心しあるいは勇退の花道を画策し、肝心の良き決断が俊敏に下せないというのは庶民にとって不幸なこと。

100日裁判のあの広島議員夫婦の片割れもこの期に及んで「やめたくない」と仰っていたようです。

ほんに、えげつないことで・・・

 

まぁ都知事殿のあの程度の「お願い」文言では若い連中で聞くわけはないでしょう。そもそもテレビなんか見ていませんし。

 

すでにオリンピックに気を遣うことはないのですからバンバン検査してとにかく現状実態を把握、はやいところ東京をガッチリ封鎖した方がもっと気がラクになるでしょうよ。

もうそういうところまで来ているのでは・・・もたもたぐずぐずしていればいずれ地位も名誉もすべて瓦解、崩落してしまうのでは・・・。

 

昨日は東名阪の福住インター近くの笠阿弥陀石仏について記しました。

この福住より名古屋寄りの山添インターチェンジからの奈良市街へ辿る道の阿弥陀摩崖仏との出会いを以前記しましたが、その後日その近くの地蔵摩崖仏に寄ってみました。

現在の車道から150mほど降りて山の裾を右に茶畑を見ながら細道を左に50mほど進みます。

実は古来から奈良-伊勢を結ぶ人々の往来といえばこの街道細道だったようですね(場所はこちら)。

 

あの時も日没直後とあってコンディションは良くありませんでした。帰途インター直前はそういうことになりますね。

途中標識が建っていますので難なくお目見え。ただしどっぷり日が暮れればまったく周辺に灯りは無い場所です。

 

路傍の摩崖仏は2mほど高い場所にありますので下から拝むような感じとなります。

地元では古くから「ほうらく地蔵」と呼ばれています。

各説ありますが、「法界衆生 極楽浄土」の「法界」というのが県の資料の主説。

 

花崗岩露出の高さ170㎝幅3mの岩肌に1m高の船型光背を12㎝ほど彫りくぼめて像高78㎝の錫杖・宝珠のお馴染みパターンの立像。足元は21.2㎝高、幅58㎝の蓮華座。

 

光背外、右側に

建武五年(1338)戊寅七月十▢日

          ▢▢大夫

 

室町に入ると表現と工作に繊細さに欠けてくる傾向がある中、こちらは南北朝初期ということもあって鎌倉期の技量が残されているということで評価は低くないようです。

ただしこの道を通る人は滅多にいないかと。

それほど難渋するような場所ではありませんが。

注意して車を走らせれば道路にも標識は立っていますので。