福住下入田公民館脇 整列した石塔たち 八幡寺跡

ポカポカ境内でちょいと土いじりをすれば上着は脱ぎ捨てて半袖にまでなれるほど。

風が無ければ屋根仕事にでもかかろうか・・・というところでしたがヤメておきました。雨予想が出ましたからね。

 

お参りの方との立ち話はありました。

東海道でいえば何故か新型コロナ陽性患者「3人」の理由について。東京-神奈川そして当地を飛び越えて愛知県などまたぞろ感染者のラッシュ。

 

私の持論「お茶をよく飲むから静岡には陽性者は少ない・・・」はちょっと置いておいて、違う角度から見ると・・・それは土地柄、人の性質からももあるのでしょうが、そもそも人の流れの無い、いわゆる「陸の孤島」だから・・・という結論。

 

要はウィルスも飛び越えて「相手にもしない・・・」ということですが、今回それだけは有難く感じます。

普段「ない」ものがたくさんあって日々「ある」こと「ある場所」への僻み妬みの文句の数々、絶えることがありませんが、「ない」こともいい塩梅、悪い事でない事を思い知りました。

 

相良で「ない」ものの筆頭は電車と駅。そしてそれに伴う繁華街、ライブハウスも屋形船もクルーズ船も大層な観光資源も・・・すべての世のバカ騒ぎの場というものはありませんね。

人口もどんどん減って、「静岡県内の地価は上昇に転じました・・・」と報じられても当牧之原市に限っては依然とマイナス

ですからね。

 

人の流れが無い、人気が無いことを落胆することはないですね。

また「花見」の季節、人はそれが今「できない」と嘆きますが人混みの中でドンちゃん騒ぎをするのが花の宴ではありません。

個人プレーが好きな割に徒党を組みたがるのは本来寂しがり屋なのでしょうね、日本人は。

とは言いながらも仕事柄、お念仏の人と会えば何故か「安心」してしまう私がありますが・・・。

 

「念仏者」とは生き死に(人間か仏か)を超えていますので私が田舎道で出会う石仏たちに迎えられた時は感動を覚えます。

 

奈良福住周辺の街道筋をぶらつけば、ことに石仏たちと出会う機会があります。

先日は福住の復元氷室について記しましたがその道を少々進んだあたりに、「下入田公民館」があります(場所はこちら)。

 

地区の公共の場、昔からですとおそらく「寄り合いの場」だったのではないかと考えられますが、案外と散在発掘された石仏たちが並べられていることがあります。

こちらの公民館の脇にもそういった石仏が。

通りから見て五輪塔ほか小仏たちより「おい、寄ってけ」の声が聞こえてきたというわけでした。

 

後日、こちらは八幡寺というお寺の跡ということがわかりました。五輪塔は貞和五年1349の銘。