「嘉」のめでたさ 鬼岩寺の由来と富士見平再掲

東京の桜が満開といいます。

おかしいとしか言いようがないのですが・・・。

あきらかにそちらとは一層温暖であると考えられる当地の桜といえばまったくいつも通りでまだその気配はナシ。

東京は何から何までオカシイ・・・。

 

東京がそうならばとっくに今頃は・・・などと思って花見などシャレ込もうと西の方へ赴いたとしてもきっとお楽しみはまだ先の頃なのでしょうね。

 

昨日は横浜の息子から二連休が取れたので墓参に来るとの報せ。私どもは冗談じゃあない「来るな」と即答しました。

新型コロナウィルスの症状が現れる率は感染していても20%と聞きますがもしそれが正しければ8割は隠れ宿主。

元気に他に伝染させるウイルスの運び屋になるということ。

 

記憶に残るのは一昨年夏に土蔵を解体した時、私と奥方は急性の気管支炎となって数度の通院の憂き目を晒したのでしたが息子とその友人には一番にヤバそうな箇所の作業だったにもかかわらずまったくそういった症状は出ませんでした。

若さの素晴らしさはそういうところに顕著に。

 

幸いにして横浜で繁忙に動いている息子がウィルスに感染していないのか、現状無事であることはありがたいことで、どうかこのままうまいことやり過ごすことができればもっとありがたいのですがね。

 

今、どの世代であっても「大丈夫」など無いのです。

昨晩のNHK番組で指摘されていた「マイクロ飛沫」の件、恐ろしすぎです。「空気感染はない」とは言ってもそれに近い感染の仕方の一つでしょうね。

対策は部屋の空気の「よどみ」をなくすこと。

2か所窓を開けて空気の流れを適宜作ることが肝要とのことです。

 

彼には気の毒でしたが「相良にウィルス持ち込むな」と2日間の自宅静養を勧めたのでした。

ただ若者の抗体はわれらオヤジのものとは格段に違うはずです。

 

昨日の法事はやはり縮小しての開催でした。

本来なら東京その他遠方より人を招いての法要を予定していたようですが、遠方者はすべてキャンセル、ごく近い人たちだけの小さな法要になりました。

 

故人の名には「嘉」の文字が入っています。

よってその「嘉」よりお話をさせていただきました。

冒頭、その「良き字」をワープロ出力する場合について少々触れました。

「か」とそのまま入力してもその文字を出すまで相当の候補数を並べなければなりませんので私は「かきつ」と入力すると紹介しました。嘉吉なる元号ならばまずは一発です。

そこから「吉」をバックスペースすればいいのですね。

 

その「嘉吉」といえばその後の応仁文明の乱を予感させる大事件「将軍の犬死」・・・「嘉吉の乱」から私の頭に刷り込まれた語でした。

将軍足利義教が家臣の赤松満祐に討たれたという史上前代未聞の事件ですね。

まぁ法要の中でその辺りの詳細は割愛して、本題はその「嘉」という語の真宗的意義についてです。

 

昨日は「分陀利華-白蓮華」そして「幸福」について記しましたがこの「嘉」は当流にとって「すばらしい」以上に意義のある文字ですね。

 

真宗には「嘉誉」という語があってその「嘉」は単に聞法に厚い「念仏者」をイメージしますが、「五種の嘉誉」(好人・妙好人・上上人・稀有人・最勝人)などと讃えられます。

 

近年それらを一括りに「妙好人」などと呼ぶことがありますが、ちなみに私の父はその「妙好人」の生きざまを語るのが好きでした。まぁ今考えれば「筋金入りの念仏者」への憧れの強い父でしたからね。

私の如く出来損ないを見てその思いを膨らませたのでしょう。

 

その妙好人と言われている人たちの至極の言葉は色々な書物に記されていて、一つ一つ感動させらることしきり。

そのうち昨日皆さんに紹介したのが「因幡の源佐」の口癖でした。

 

「ようこそようこそ さてもさても」です。

「ようこそ阿弥陀さん さてもありがた」という意の様ですが、自身都合の悪い各事象の数々もその語一つでシンプルに暮らせられればたとえ鬼が出ようが蛇が出ようが「私は幸せであった」と胸を張って言えるのでしょうね。

それでいて決して念仏を自己成立の根拠としていない(他力の心)が溢れているところもミソでした。

源佐の言葉だけでもたくさん残っていますのでお調べを。

 

画像は昨日の蓮生寺、蓮華寺池の西の山向こう、鬼岩寺

そのいわれ、鬼を封じ込んだという岩がありました。

是非に現代の「鬼」というべきコロナウィルスの封じ込めを願うばかりです。

 

そして以前記した富士見平に姫平。足利義教もこちらから富士山を眺めたといいます。

最後の画像左に富士山がうっすらと浮かんでいます。

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コメント: 2
  • #1

    くりくり (月曜日, 23 3月 2020 21:01)

    うちでも息子が名古屋から帰省中です。就職で東京へ行く間の帰省ですが。
    ところで、宗教家の皆さんはこんな伝染病流行に対してどう祈るのでしょうか。
    ウイルス調伏とかするんでしょうかね。
    すいません挑戦的で。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 24 3月 2020 06:23)

    ありがとうございます。
    そういったカタチを売りにする宗旨もあるかとは思いますが
    私どもの場合は新型コロナも四苦(生老病死)のうちの一つの「病」でありますので
    「人の受け入れるべきもの」としてのスタンスは変わりません。
    個人的には何とかなって欲しいというのはやまやまですが、こればかりはどうにもなりませんし・・・
    また、これも人間の行き過ぎた計らいによる自然のしっぺ返しかも知れない・・・などと
    反省の機会として受け入れなくてはならない・・・などとも考えてしまいます。