本山「春の法要」は参拝中止となりました 十二光

学校に人々の生活、そして経済の疲弊はともかくとして、昨日午後に報じられた大船駅から救急搬送された方、帰国者ではないクルーズ船とは関係なさそうな方、クルーズ船のお客で「現場解散」で勝手に(公共交通機関利用)帰宅させられた静岡市内在住の方から「陽性反応」の2件は少しばかりがっかりでした。

 

公共交通機関の利用はハイリスクであるということ(何処にも行けない)、世界の基準と違う「解散形式」は大いなる違和感がありましたが、そうなるべくしてなったと言う他はありません。

 

それらの件ずっと拙ブログでは愚痴の連発でしたが、最大の不思議はPCR検査を網羅的に行ってこなかったことでしょうね。

軽く考えていたというか、何をケチって民間を利用し対応しなかったのかその責任を問いつつ検証していく必要があります。

お隣の韓国の検査体制とはケタ違いですからね。政治力の差かただの怠慢としか。

 

それをしなかったこと含め、現状の新型肺炎対策費用の渋り具合にも「頭がおかしいのでは???」と思うくらい対応に酷さを感じます。

よくもまぁここまて引っ張ったその検査を保険診療にするとの発表がありましたが、これまでの経緯から現場医師たちとの温度差はまだかなりあるのでしょうね。「お気軽にどうぞ」とはいかないというのがね・・・そうでなくては意味がない。

 

私の如くのド素人でもそう思うところ大ですので賢明な国民は既にご承知と思いますが・・・

 

さて、一昨日「春の法要」について記しましたが、昨日お寺の総代様たちに文書でその開催について私の考えを打診しました。

法要は4月上旬になりますが、その開催に関しての方向性を示したものです。

 

主として複数人が閉鎖的空間に参集する「会」の開催は控えた方が得策と総代会と世話人会の開催はせず回文を地区世話人に郵送する旨なのですが、内容はまず「寺楽市」ついては中止の決定。

そして本法要は本山からまだアナウンスが無かったため「様子を見て」のニュアンスで地区と時間を分けて2回程度行いたい旨ご協力をお願いしたいという次第でした。

 

するとその配布のあとから本山のサイトを確認すると【新型コロナウイルス関連】・・・と更新されていました。

 

「真宗本廟(東本願寺)における「春の法要(4月1日~4日)」についてご参拝の方の受け入れ対応は行わず、諸法要の読経のみ御影堂・阿弥陀堂にてお勤め(内勤め)させていただきます。

また、関連行事等についても全て中止とさせていただきます。」でした。

 

意味のないことではありますが気持ち的に静岡から陽性患者が出たということはちょっぴりガッカリ。いつかはあるとは思っていましたが・・・

本山もお寺もその行事から陽性患者が出るというのは気分が良くないものです。

私も既に「春の法要」は中止にしてその中身、誕生とご長寿の祝いの儀は盂蘭盆にでもやりましょうか・・・とそういった内容の回文を1、2週間のうちに出さなくてはならなくなるのかも。

 

息子は数日前に1日に2度の葬儀に立ち会ったといいます。

やはり葬儀だけは中止とは行きつかないのでしょうが、葬儀は体力的に相当追い込まれることになりますので心配しました。

あれだけの閉鎖空間にたくさんの人たちが集まって坊さん一人だけ発声を続けることは精神的にもよくありません。

体力は十分、若いからできるのでしょうね。

私の場合、1件でも葬儀式終了後1~2日間は体力回復まで時間を要してしまいます。

これからひょっとすると葬儀式の延期なども起こるかも知れませんね。

 

さて、先日逝去された前総代の院号について(法名は事前決定済)正信偈から頂戴して「清歓院」(しょうかんいん)と呼ばせていただくことにしました。

 

普放無量無辺光 無碍無対光炎王 喜智慧光 

不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照

 

一言で言えば阿弥陀如来が五濁悪世に放つ光の嵐。

それらは私どもの「気づき」へのヒントという言い方ができるかも知れません。「気づかない」のは勿体ない。どこか高いところに居る火宅の御仁・・・国民は不幸になるばかり。

 

ちょうどその部分の解説が4月号「同朋新聞」(②表紙)にありました。

「十二光」と呼ばれる異名、それぞれの光明の働きをあげています。

 

「真宗聖典30頁」

このゆえに無量寿仏(阿弥陀仏)を無量光仏・無辺光仏・無碍光仏・無対光仏・焔王光仏・浄光仏・喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏と号す。

 

①は拙寺境内。