菊川老若男女の悲しみ 大村勇貴展菊川赤レンガ倉庫

厚労省さまはただ(責任を放棄するが如く)クルーズ船からお客を降ろしていましたがその乗客23人について、ノーチェックで「開放」していたことを発っしました。

 

もはやあの役所は機能不全、ハッキリ言って無茶苦茶です。

トロイというかバカというかマヌケというか・・・役立たずの給料泥棒。

自分らで「決めました」のルールでさえ守れなかったというのです。

 

この世のありとあらゆる罵詈雑言を与えても足りないくらいですよ。この国はオリンピック返上の崖っぷちに自ら立ちすくんでいるようにも見えますからね。

そうなるべくして・・・の気もしてきました。

 

無観客試合も容認などの声が出てもおかしくないですが、そもそも選手団も来日ボイコットということになるかも知れません。

各国では日本人の入国禁止の触れを出しているところはまたぞろです。

やることなすこと世界の感覚とかけ離れているとしかいいようがありませんね。

市中には無発病感染者が溢れかえっていることでしょう。

 

だいたい何やらイベント等の開催・中止の判断は「主催者にまかせる」の語、ふざけてます。責任転嫁というより補償問題を気にしているようにも感じます。

また、急に「アビガン投与の検討」と大臣さまが言い出していましたがあれは確かインフルのパンデミック用の在庫(を抱えた)のお薬。

それも「細胞をぶっ壊す」劇薬指定で、若い人には投与できないといいます。

在庫処分に無理にそれを決めているようにも感じました。

やはり国の政というものは国民の為には働いていないのでは・・・

 

さて駿府城現地説明会は盛況だったようです。

好天なら・・・行ってみるかのスタンスでいましたが、早朝よりお悔やみの報があって午前中はその対応でおわり。

午後、菊川中心部にお住いの檀家さんとお会いし、未解決殺人事件の逃亡者の件を伺いましたが「それは小笠だ」と。

やはり菊川の方は、小笠と分けて考える傾向があるのでしょう。

いずれにせよ小笠あたりの小学生の登下校は父兄大変の様になっているよう。

 

すると大村勇貴さんの個展にどうぞとのお誘いを受けました。

その檀家さんの娘さんは彼と幼馴染でお互いの家への行き来もあったといいます。

雨天でしたが折角声を掛けられた機縁だと菊川駅近くの赤レンガ倉庫に向かいました。

そちらも菊川中心部の方で知らぬ人はいない名所です。

 

大村勇貴という若者は私の息子とも同年齢。

しかも彼の名は今や菊川の方たちは誰もが知っています。

こちらに新聞社の彼の紹介文がありますのでそれを記させていただきます。

 

「京都アニメーションの放火殺人事件で犠牲になった36人には入社したばかりの新入社員もいた。その一人大村勇貴さん(当時23)が大学在学中に描いた作品を紹介する個展が出身地の静岡県菊川市で始まった。

ゆかりの人たちから作品を見たいとの声を受け、両親や学生時代の仲間らが企画した。大村さんの母の、息子の思いをくんだメッセージも会場に掲げられている。 

大村さんは静岡市の常葉大造形学部で学んだ。在学中から創作意欲が強く、様々なプロジェクトに関わり、二科展や日本ブックデザイン賞など様々な公募展で入賞を重ねた。

卒業後の昨年4月、京アニに入社し、アニメーターとして新たな一歩を踏み出した矢先に、事件で命を奪われた。」です。

 

あの意味不明の衝動も一人の人間が為した「業」。

36人というたくさんの人生がその「業」によって潰えてしまったのは一体・・・と考えると「人」というものの存在についてますます迷宮の域に入っていきそうな気がします。

 

特に彼の描いた「キレイ」と一言で形容することも口惜しい色使いと素朴さをも感じる描写の技量、能力の高さのそれぞれを拝見して、本人は勿論、そのお父さんお母さんの悲しみが如何に深いものか感じるばかりでした。

尚、彼の作品は彼の名でググっていただければ多くが出てくると思います。

 

昨日も「忘れることは罪である」と記しましたが、人々の記憶からあの件、風化させてはイケません。

そして私はすべてをあの「加害者の暴走である」と決めつけ解決しようとすることヨシとしません。

彼がそこまでに至らなければならなかった「怒り」とはいったい何だったのか・・・

 

どのような「怒り」があったにしろ「暴挙は暴挙」、刑事罰であることは間違いありません。

しかしその「主張」に対して会社側として心を開いて聞いたのか、耳を傾ける努力をしたのか・・・などと考えてしまいます。

 

「忙しくておかしなことを言う奴の相手などしていられない」などという気持ちで彼の言い分をシャットアウトしてキレさせてしまった・・・のようなことがあったとしたら、平穏無事のチャンスを自ら切ってしまったことになるのかも知れません。

 

すべてが過ぎてしまったことの後悔しかありませんが・・・。

 

時間は無常に過ぎていきますが、後悔のなきよう先手、先手の発想で目に見えない危機を乗り越えていかなくてはイケません。

未知の危機が待ち受けていますよ。

 

まだまだノー天気と言うしかない日本国内の雰囲気はお国の当初の指針、「正しく怖がれ」の正しさが正確に通じていなかったのでしょうね。

中国では20代でも、また医師であっても亡くなっているのに「かかっても軽度で済みます」と「冷静」の語でもって沈静させようとしますがその「正しく」の結果が今のザマです。

 

 

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コメント: 3
  • #1

    興津和重 (水曜日, 20 7月 2022 07:38)

    静岡市の興津和重と申します。京アニ放火事件で犠牲になられた方々の御遺族の皆様方には心が痛み、無念極まりなく言葉もありません。心からお悔やみ申し上げます。.私はこの事件に不条理を感じています。①一番悪いのは犯人②京アニ会社上層部③京アニの会社としての体質に疑問を感じています。①は問答無用で悪い。②は会社上層部が犯人ともっと丁寧に接触すべきだったのではと思う。実際、犯人の作品を参考や引用したのなら(推測)、それなりの報酬をあたえるべきだった。犯人から作品だけ受け取って門前払いした可能性が考えられる。③避難訓練の方法として、恐らく一階の出入口から外に避難する方法だけだった可能性がある。実際、屋上へ避難しようとしていたが、鍵を開けることが出来ず屋上に避難できなかった。屋上の扉の鍵は二つあったとネットに記載があった。二つの鍵は慣れていなければすぐには開かない。銀行の時間外の扉にも二つの鍵がある。私は二つの鍵の問題を解決したいと思い、15時過ぎに銀行の時間外扉から二つの鍵を開けようとしたが、すぐには開けることができなかった。二つの鍵を同時に回さなければ開けることが出来なかった。京アニと銀行の二つの鍵の構造に違いがあるかも知れないが、開け方がわからなかったから、扉を開けられなかったと思う。事件後、消防士は鍵は普通に開いたと言っていたが、消防士は鍵についての知識を持っていたと考えられる。京アニの社員の中には屋上で煙草を吸ったり、気晴らしに屋上に上がった経験者もいたかも知れない。全員が屋上の扉の二つの鍵を開けたことがなかった可能性がある。たまたま先頭にいた方がその二つの鍵を開けたことがなかった可能性がある。だから、緊急時に屋上に避難する事を想定した避難訓練を実施していなかった可能性があり、会社としての責任があると考えられる。以上の事を考えれば、犯人の裁判を待つことなく、御遺族の方々は会社や上層部に対しての事故責任を追求した方が良いと思います。この考え方は私の一個人の考えです。何かの参考にして下さい。御遺族の方々、元気を出して下さい。失礼します。

  • #2

    興津和重 (水曜日, 20 7月 2022 07:48)

    初めまして。京アニ放火事件遺族の渡邊達子さん、勇さん(故渡邊美希子さん)とも連絡を取りたいのですが、情報を下さい。大村敏弘さん宅は留守番電話になって話が出来ませんでした。興津の携帯番号は080-3663-4323です。

  • #3

    今井一光 (水曜日, 20 7月 2022 22:56)

    ありがとうございます。
    まったく仰る通りです。
    真の被害者の存在があって、それを誘発させてしまった一見被害者に見える組織があるということですね。
    あまりにも衝撃的な事件で、圧倒させられてしまったのですが、会社ガンバレ一様の旗振りだけでは本質を見失うかも知れません。