大阪の自慢 飯盛山の楠木正行像 二代目 

久々極寒かつ強風の相良でした。

寒暖計の数値は他所から比べれば笑われるような数字(氷点下にはならない)ですが、遠州の空っ風の「本領発揮」には閉口させられます。

 

奥方は水屋で一仕事して家に入ってきましたがその手は氷の如く冷たくなっていました。

水仕事から切っても切れない日常、手荒れのケアも怠れませんが「冷え切る」という場面は体に良くないと聞きますので温かい所で「冬眠」が今の合言葉ですね

私は天気の様子といつもの気分次第、外仕事はいまのところ放置です。

 

さて、昨日は忠孝の不思議な子について、彼が明治以降囃されるようになって地元関西、特に大阪あたりでは人気の武人となって

います。

 

大河ドラマ云々を時に私も好きなことを書き散らかしていますが、そのドラマ主人公の選定については各地関連の「代表」選出と地区町おこしの悲喜こもごもについて目にしていますが、概して関西地区の大河ドラマ視聴率が上がらない傾向があるようです。

大阪といえば秀吉を思いつきますがそもそも大阪の人間ではありませんね。家康も信長も勿論ですがチャキチャキの摂河泉での登場がないのです。

 

古い大河ドラマで「太平記」があってそちらには楠木家がそれぞれの役として登場がありましたが、きっと大阪ではその親子、特に息子の楠木正行あたりを渇望しているのかも知れません。

最近耳にすることがなくなった「父子の仲」というものも悪くないと思ったのでした。

 

画像は楠木正行単体の雄姿。

大阪を見渡す飯盛山の頂上にありました。

経緯あって元の像は例の金属回収令によって軍に取られてしまい台座だけになっていたところを③右の方が再建したといいます。

あの父子への大河ドラマ採用の希望もこの山の下の四条畷と大東中心にあるはずです。