田沼意次遺訓七か条と小和田先生ブログ駿府城

小和田哲男先生のブログは毎度拝見させていただいていますが、凄い事が記されていました。

私ごときのド素人ではその辺りの件を知るに、まず報道関係からですからね。

 

その内容が、先日私も駆け付けた駿府城天守台の次に出た小天守台の遺構ですが先生は「今川時代の遺構の確認」という表現までされていました。

 

何しろ天正期遺物の下(遺構の下の遺構)ということで一番下にあるだろう今川時代の遺構を露わにするためにはその上の全てを取り去るほかはありませんから…

先生もそうでしょうが、一番に知りたいのは今川館の全容というのがそのスジの方々が念頭に入れていたところですからもどかしいところです。

 

今川館の所在もまぁ、現在の駿府城の下だろうというところは推測されていましたが、ひょっとするともっと賎機山側に近いエリアの可能性も捨てきれないというところでした。

広大な駿府エリアの地下に埋まっている事は確かですが、館の中心部についてピンポイントにここであるとは確定されていませんね。

 

しかし、先生のブログによると薬研堀が出て来たそうで「これは今川館の堀と見ていい」とのこと。

そうなると今後駿府城公園は発掘現場の垣根を取っ払って掘りまくらなくてはイケませんね。

先の長い話ですが、楽しみが増えました。

 

さて、先月12月初旬にお知らせしていた通り、藤田覚先生を相良にお招きしての講演会が催されましたが、その演題が「田沼意次遺訓案と田沼時代」でした。

 

色々その姿勢を脚色揶揄されての歴史が田沼意次の政(まつりごと)のイメージですが、この遺訓は家訓としての意味が強く、何よりも田沼意次の本当の性質がうかがえるというものです。

 

画像は観光課が作った意次通信に記された七か条の要約ですが、その冒頭に記されたその主旨について藤田先生の記した読み下し文を転記します。

 

( )内は削除予定と思われる部分、『 』は削除部分

 

人情の正道なるところは相知れぬ候わけに候らえども(もっともその教えの大体を知らざる者もこれなく候らえども)善悪の人これあるは、用いると用いざるとにこれあり候なり、我がままよりおこり候ことに候、学問厚き面々にも、かの教えは別のことのように学問と名付け除け置き、芸のように致し、今日の行いは我がまま次第に過ぎゆく者多くこれあり候(勿論教え方悪しきにはこれ無く、学ぶ者よく心得るべく候)、『学問心がけらくべく、先ず」)

これにより、先ず早々(無道これなき「ようにと」ため)

左の七か条違いなきようにとこれを認め候

 

 

「武芸出精の余暇に遊芸を嗜むこと自由」の件、特に素晴らしい殿様です。

 

ただし「遊芸」とは

謡曲・茶の湯・鞠・揚弓・生花・舞踏・琴・三味線・尺八・笛・香・講談・浪花節・落語・俗謡・詩歌・歌舞・文芸ということで文武以外の趣味的なもの。

今の「遊び」とは違いますが、それらさえも禁じられた時代がありました。

 

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コメント: 2
  • #1

    お祭り大好き (金曜日, 17 1月 2020 10:34)

    駿府城跡天守台発掘調査現場は毎日昼間一般公開されていますが、2/22土9:00~16:30は申込不要で新しく発見された小天守部分の現場見学会が開催される模様です。
      〇調査員の説明:9:30~・11:00~・13:30~・15:00~
    1983年に公開され見学した「今川居館跡?」を思い出しながら、出かける予定です。
    藤田覚東大名誉教授監修予定の相良史蹟調査会発行の「相良海老」も楽しみにしています。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 17 1月 2020 17:07)

    ありがとうございます。
    何とか2/22土曜日は時間を取って駿府へGO! したいと思います。