田沼意知禍の後 若死累々 相良海老発刊遅延

そろそろ「相良海老」なる不思議な名称が付けられた古文書の解読版が出ることになっています。

その件ブログにて(またはこちら そしてこちら)記していましたが、「田沼300年」に関わる色々な行事が累なったために2020年に越してしまったのでした。

特に藤田覚先生にチェックをお願いしていますのでその校正に時間を要したのではないでしょうか。

 

発行に関してまとめている史跡研究会の小澤会長に聞けば18日に会員の所望する部数を聞き価格も決めるとのことでした。

発行部数は300部と非常に少ないのが気がかりですが、殆どの方たちは「古文書の解読本がそう飛ぶように売れるワケがない」と控えめです。

地元本屋さんの店頭にも並べないそうです。

 

原文と読み下しを比較しながらのページ配置に仕上がっているとのことですのでこれから古文書世界に入りたい方にはわかりやすいかと。また田沼フェイクの中の悲哀ストーリーについては本邦初公開ですので演劇などの台本作成資料として参考になるかと思います。

 

300部について会長は基本的に増刷は無いと申しておりますので、「欲しい」という方にとってその1冊は希少性含めて価値があると思います。

吉祥寺の叔父は古文書研究会の教材にするということでそのうちの38部を予約。私も10冊は欲しいと思っています。

また、出版にあたって尽力されまたは、寄稿頂いた方へも配布されるかと思いますので実際に出回る冊数は250冊を切るでしょう。さらにそちらから他の会員さんの希望を取ることになっていますので。

次の会合で「それでは少ない」の提案がない限りその冊数は動かないと思います。そもそも当初は「200冊案」でしたので。

 

ということで、もしこちらのブログをご覧になっている方で「欲しい」という方について(こっそり)予約を承ります。

価格については未定でおそらく1000~2000円の間になると思います。

「相良海老欲しい」と1/17までにメールでご連絡ください。

詳細決まり次第ブログアップします。

まぁ書籍は発行後史料館受付に並べられますのでのんびり相良に来られた時にでも間に合うかとは思いますが。

メディアで取り上げられたりすると思わぬ展開となるかも知れませんがその期待値は低いでしょうね。

 

さて、老中田沼意次の嫡男若年寄の田沼意知が佐野善左衛門に殿中で斬り殺されたことから当地相良は散々の目にあうわけですが、この件如何に異常な事かを思わされます(勝者 松平定信の作った歴史)。

日本の庶民感情としては斬り殺された方の田沼家への同情意識が働くものですが、その「相良海老」に記されているが如く、「田沼ざまぁ見ろ」的バッシングと下手人で腹を切らされた佐野善左衛門を英雄視する真逆の風潮が作られました。

 

明らかに過剰とも思えるコントロールが働いたとしか言いようがありません。それも念入りに図られた・・・。

まぁその辺りは田沼バッシングの読本、「相良海老」の発刊を待っていただくとしてその後の田沼について概略を。

 

嫡男意知を亡くし失意のうちに亡くなった田沼意次の系についてとても紛らわしいので番号を振って記してみます。

 

1田沼意次 相良藩 田沼家初代 没1788年 69歳

2田沼意知 意次嫡男 没1784年 35歳 刃傷死没

3田沼意明 意知長子 没1796年 24歳 相良→陸奥下村

4田沼意壱 意知次男 没1800年 21歳 陸奥下村

5田沼意信 意知四男 没1803年 22歳 陸奥下村 意知家断

6田沼意定 意次の弟の 7田沼意誠の子の 8意致の四男 

           没1804年 20歳 下村

9田沼意正 意次四男 没1836年 77歳 下村→相良

 

意知の不運禍いに始まってこの系譜は次から次に田沼に累(かさね)て続く不運。

四代続く20歳代の逝去に「糾える縄」の故事が陳腐このうえなく感じもします。入滅の年齢の多少を言っても始まりませんが当人もとより各周囲の落胆と深いため息が推されます。

 

画像は田沼意次失脚後廃却された相良城の材を使用されて建てられたと伝わる陽光の下の拙寺本堂。

今年の最初の課題は南側破風下の塗装です。かなりの難題ですがうまいことやってのけようと思っています。

この宿題、次世代に残すワケにはいきません。

 

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コメント: 2
  • #1

    がつお (金曜日, 03 1月 2020 11:06)

    2日続けて田沼の話題だったので相良城について一つ。
    相良城の請取に行った岡部の行列の並びを記したと思われる文書を甲賀の個人が所有しているそうです。
    岸和田藩に甲賀者が仕えたことは以前書きましたが彼らも請取の御供をしていたようでその記録を残したものと思われます。
    また、古文書解読といえば私は国立公文書館にある由緒書等を書籍化ではなくブログとして掲載しています。(公文書館は許可不要のようなので)
    本当は他にも東京大学史料編纂所とか国文学研究資料館とかの文書も載せたいのですが許可を得るのが面倒なので止めています。
    このような公とも言っていいところの史料は自由に利用できるようになるとありがたいんですけどね。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 03 1月 2020 20:19)

    ありがとうございます。
    相良城破却関係の史料が最近になって岸和田岡部系から出てきていることは意表を突かれていましたが、今度は甲賀ですか・・・岡部にとっては相良打ち壊しは名誉と総動員の力の入れようだったのでしょうね。お上からのお達しでは無理はありませんが・・・

    皆さま私の画像アップについて「権利の方 大丈夫?」との疑問があるかもしれませんが、基本「えいやぁ」です。
    国系管理の書物の引用に関して、基本オープン当たり前と思っています。
    国が文書を隠す、黒塗りにする、シュレッダーで処理するなどの「隠し」につながるところでその手の権利・権力による制限は問題提起するべきかと。
    ~かなり飛躍してしまいました~