「大ばかサンタ」青に次いで赤も 原色好き

冷たい雨は早朝にはやんで青い空が西の方から広がりました。

気温も上昇して師走の季節感にはありませんね。

暖かい冬は地球崩壊の助走と考えると恐ろしいものがありますが、今の私には心地よい環境を提供していただいて有り難いことこのうえなし。

 

やること山積で、その殆どについて半ば諦めているところですが、奥方といえば葬儀が真っ当にやり切れるのか心配しきり。

朝から晩までずっと動いています。

 

昨日は2件(地元SBSとフジ系)の取材依頼を快く引き受けましたが、奥方からは「よくやるよ」の苦言。

奥方が頼りです。

尚、放送は前者は夕方、後者はお昼とのことです。

すべてすべて流れにまかせています。

 

いつも同じお話の繰り返し(問われる事も同じ)で、視聴している方も新鮮味がないでしょうが画面に(お茶の間に)私が登場することの知り合いの驚きは依然意表をついているようで、先週の地頭方の処理場では、「来た来た~」のお待ちかねのニッコリ、鐘撞きの真似をしての歓待を受けました。

少しばかり目立ちすぎて何かポカをやらかせばネガティブイメージの方も超絶でしょうね。

イイ子にしていなくてはイケませんよ、これは。

 

さて、母親から見れば私は決して「イイ子」ではありません。

コレは確実です。

よく母が内々でぼやいていましたが、幼稚園から小学校各年代の参観日に「毎度恥をかかせてくれる」と。

親たちが残っての教師との懇談会、時に教師から「こんな子がいる」という悪い子代表の指摘があったそうです。

 

それはひょっとして・・・と「それはうちの子ですか?」と聞けばズバリ「そうです!」と返答されてから、以来教師が手を焼く生徒についてボヤきだしたらその質問をしたようです。

それがまず図ったように「そうです!!」と言われて閉口させられたとよく言っていました。

 

当奥方が言うには、私の長男も次男も同じ。母と同様「またか」の諦めの連続だったといいます。

小学校低学年の次男にはどもりの傾向があり、また教師に匙を投げられて「一度病院に行って見てもらいなさい」と言われたように「どこかオカシイ」と思われるのが当家のDNAなのでしょう。

 

私からすれば次男の件はさすがに憤慨(表向きは快諾)しましたが、横浜の教師の狭量を呆れたものでした。

当家に於いては「多動性」は伝統の血脈です。

小学校の卒業文集に他者が記した「彼の将来」寸評に「犯罪者」と記されたことにはショックを受けましたが。

 

尚、以前もその件は記していますが、次男の診察結果は現在のような「発達障害」の概念が確立していなかったのか「問題なし」でした。教師は渋々受け入れていましたね。

自分の手に負えない者は病気であってそれなりの施設に入れるべきという発想が垣間見られたのは残念なことです。

 

今は多様性と「みんな違ってそれでいい」の思想を法語として拡散すべき立場。

教師にその「病気とやら」を疑われた次男は現在横浜で僧侶として活動している身。どもりも知らぬ間に消えています。

 

世の中往々に「皮肉」「因縁」にまみえていますので案外「病気だから診てもらえ」と言い放った先生が次男のお説教を受けていたりして・・・などと考えるとニヤリときますね。

尚、卒業文集で「犯罪者」と記した子はまさに逆にその身となってしまったことも不思議な皮肉でした。

 

その私への母の罵倒する言葉は年がら年中「大ばかサンタ」の語でした。

かといってまったくその言は私には無意味であったことは言うまでもないことです。

父母とも家が寺であるなどまったく意に介さず近所の教会のある幼稚園に通わせていましたのでその語は子供なりに承知していましたが「サンタクロースはバカなのか」程度の理解でしたからね。

 

数日前の母の往生の直前に、そういえば「あの言葉を最近聞いてないな」と奥方としみじみと話したばかりでした。

勿論、奥方も聞き覚えのあるフレーズでしたからね。

 

その意味については深く聞いたことがありませんが、まぁ語呂がイイということと、私が「青色」と同様に「赤」系の衣服を好んで着用したことと「道化の如くおっちょこちょい」でしばしば破目を外して大ポカをしでかしたからでしょう。

そういえば最初に購入した車の色も赤でしたね。それで事故を起こしましたし。

母はいつも心配しながら呆れ果てていました。

 

しかしあの次男といえば車の色は白ですし、着るものは黒系ばかりです。ただしあ奴の車には親戚一同、絶対に乗りたくないと絶句するような代物ですが。

他者のウケは意外に良くてマジメで通っているのが私と違うところではあります。

 

つい最近になって祖母(母の母すずさん)の実家、小田原の「みのや吉兵衛商店」が2度目の倒産となって遂に看板と屋号は消滅した旨を妹が母に告げたところ、病床で表情の無くなっていた母の顔が俄に変わって目を丸くしていたといいます。

余程の衝撃だったのでしょう。

母は若い頃はその流れで「みのや」の売店店頭でかまぼこや塩辛などの土産物の販売の手伝いをしていました。

 

父も私もその社長の家族とのかかわりが浅くはなく、家庭教師としての口を頼んだりしていました。

妹も前社長の娘との交流が今も続いているようでしたから母だけでなくその件の驚きは半端ではありませんでしたね。

残念でなりません。

 

調査会社からその倒産理由を「殿様商売のツケ」的なことを書かれていたことは気の毒に感じます。

社会の流れは早く商売の浮沈は激しいものがありますからね。

当家大澤寺と同時期の操業、450年の老舗を消滅させてしまうその気持ちを思うと尚更です。

 

その看板を掲げた「みのや」は近江浅井氏の流れ、生き残るために改姓して相模まで落ちてからの商いと伝わりますが(過去ブログ)、その意味で「殿様商売」の指摘も引っかけていたのでしょうね。

考えると、母もかなり「お嬢」の如く気高く振舞うことがあって人様にとやかく言われることをとても嫌っていたことを思い出します。

 

まぁ少なからず、私どもにもそんな血が流れていることは確かで

これから寺を潰すような「大ばかサンタ」にならないようしなくてはなりません。

無常世界にあってどうなるかなどわかりはしませんが私の場合は寺であって商いとは違うというところが救いなのかも知れません。山っ気も禁物です。

「みのや」も海のものに専念していれば・・・

 

画像は暖冬に甘えてまだ地植えのハイビスカスに囲いをしていない放置の図。

冷たい雨のあと、今朝シッカリと「赤」を主張しています。昨日伺った檀家さんの家にはブーゲンもまだまだ咲いていました。

当家のブーゲンも僅かながら花をつけています。

 

③④は先日の寺標改修工事の追加工事を依頼、着工の図。

前回工事個所でない石積み下部の路面にクラックが入って剥離が始まっていて気になっていました。

赤い手袋のいつものコンクリ屋さんがやってきて、瞬時に完成。

赤いカラコンを置いて帰りました。

 

小田原のすずさんの墓前にもご無沙汰しています。

現状気持ちはあっちこっち散らかりまくっていますね。

奥方には「黙っていれば時間はすぎる・・・」ですが。

 

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コメント: 2
  • #1

    お祭り大好き (火曜日, 24 12月 2019 22:43)

    ご母堂がご逝去のなかを取材・取材・取材に追われ同情します。
    週刊新潮に目覚めて今年の取材合戦が始まったように感じ、テレビ局の生き残りも大変?
    フジテレビのバイキングは群馬県桐生市が目立つだけで、大澤寺は短すぎて肩すかし!
    SBSのオレンジは楽しむことが出来ました。
    ≪ご参考≫龍津寺は相良と同じく1万石小島藩のお寺です。そして静岡市のもうひとつの龍        津寺では除夜の鐘と一緒に手筒花火も披露されます。
    次は「墓場放浪記」が取材対象の可能性が大?

  • #2

    今井一光 (火曜日, 24 12月 2019 23:13)

    ありがとうございます。
    本日のオレンジの放送前に番組進行役より直電があって内容確認の最終チェックがありましたので、「これは確定」と思って総代さんたちに連絡しました。
    肩透かし的なものも数知れず、よって取材があったからといってテレビに登場するワケでもありませんので、ブログでもあまりお調子にのってその件記すのはどうかとは思います。何より恥ずかしいですね。

    時間を割いて放映していただいたことは有難い事です。
    そろそろ他のお寺にバトンタッチしなくてはなりませんが。
    そして龍津寺の件、ありがとうございます。いつかブラついてみたいと思います。