伝承は鎌倉~室町 さりげなく立つ増上寺四菩薩  

一昨日の奥方の忠告「雨が降るので手じまいせよ」に従って大正解。伐採を止めて片付けに入ったのでしたが、その夕刻に天気図をテレビで見ると降りはじめは遅れ、いつもの如く遠州は小降りになるくらいだろうと。

よって午前中の外仕事はイケると踏んでいました。

 

ところがまったく奥方の言う通り。

午前からの本格的降水でした。午後といえばそれ以上の激しい降りになってしまいました。

私の予報などまったくアテになりませんね。

念には念を入れて・・・忠告を聞くことは基本中の基本でした。

 

予想や予報の類ではありませんが、以前より「酒は百薬の長」とよく耳にします。

この語に関して「水の味」がわからぬ(下戸にはわからない酔い覚めの水のうまさ)私としては「懐疑」しかありませんでしたがどうやら最近のアルコールの摂取について「お酒は少量なら健康に良いはウソ」(東洋経済)という論文が発せられていよいよやはり・・・と思った所です。できれば飲まない方がイイということでしょうか。

酒やビールを商いとする会社は晴れやかとはいえないような学説ですね。ただでさえ売り上げが落ちているといいますし。

 

嗜好品として「嗜む程度」(そのレベルは個々によって違うのでしょう)であればそう悪いことばかりでは無さそうですがしばしばお酒好きとしてはその「酒は百薬の長」の語をバックにしてその正当性の主張をして「飲まれる」風があります。

しばしば見るオーバーペースや暴飲によってヘマをやらかす色々を見させられていますがこれは芸人界に流行しているようなドラッグとほとんど同じように感じます。

 

下戸からすればアルコールを「薬」として常飲するなどあり得ないことですからね。

血筋としてどかどうかは知りませんが私の場合はアルコールもドラッグも不要で年がら年中ハイで楽しくしていられますからウマくできています。

 

「タダ酒ほどうまい酒はない」とも聞きますが国会議員のあの方もまた再びヤリ玉にあげられていました。

あれだけ酒で失敗しているかに見えても目の前に酒が出されたら制御不能に陥るのが人間ということでしょう。

 

学生時代、その手の飲み会というものはつきものでしたが、私は食う専門。どれだけ会費の元をとるかですが、当時から酔っ払いの色々については勉強させられてきています。

何せ私だけ素面ですからね。

介抱や運転手役もしてきましたのでいつも便利に、冷静に見ていられます

 

そもそも酒を飲んで「暴走」する人の特徴は会話も行動も無茶苦茶になって「壊れて」きますが特に他者を敬う気持ち(デリカシー)が飛んで失せますね。私個人としては常軌を逸したそういった場は嫌いではないのですが・・・

当然に飲み会には女子たちも周囲にいることもあります。

今節あの議員さんがあの場で「お話しした」という内容はただの酒宴であったとしても私の友人の酔っ払い連中の中で「ありえない」内容でした。

 

凍り付いたのではないでしょうかね、周囲の人たちは。

その人は「次はナイ」ことを察してぶっちゃけちゃったというところか天性の酒暴走の人か。目出度い方です。

健康よりも「人」(自身も他社も)というものを壊し結局「無礼でみっともない」姿を晒すというところは酒が「百薬の長」などになりえないところでしょうね。

 

さて、画像は増上寺の四菩薩。

右から普賢菩薩・地蔵菩薩・虚空蔵菩薩・文殊菩薩で、掲示には

「四体の菩薩像は、この場所の北西、現在の正則中学校あたりにあった地蔵山に東に向けて安置されていたもので、道を隔てて東側にあった観音山に西向きに安置された西向観音像(港区文化財)とともに向き合って街道を見下ろす形をとっていました。足利成氏が建てたとも、北条時頼が建てたとも、正嘉二年(1258)に土地の人が真言僧に建てさせたともいわれています。」

とあります。

 

何れの伝承にしろ最も古いもので鎌倉期。

特に室町期とはいえ足利成氏の名が最初に出てきますが、彼の父親は鎌倉公方の足利持氏。

ということは私の憧れの女子、三の姫様(またはこちら)の兄さんが建てたということか・・・

 

しかし奇特な事とといえば、東京の遺物はあの度重なる空襲によって破壊されていることも多々あって、このように大丈夫の躰で残っていることは素晴らしい。

特にこの増上寺も明治期の廃仏毀釈のドサクサや空襲、西武グループ(ピストル堤・・・)の土地買収などネガティブな歴史を経験している場所です。