大井川行幸歌会序断簡と桂川徳大寺樋門の遺構

この頃の好天はありがたい。

ボサボサ杉を裸にするため昨日も取り付くことができました。

昼過ぎになって奥方が「明日は雨予報」というのでその時間で撤収開始。

例によって地頭方の処理場へ。大物は外して搬入しましたが処理費は1050円と大台を超えてしまいました。ちなみに大物は時間のある時に葉を取ってチップ屋さんに引き取ってもらいます。

じっくり天気予報を見たら降り出しは遅くなりそう。

様子見てあと1/3、残った枝を払います。頭を摘めますので少々気合をいれます。

 

墓参の方たちの通行する真上になりますので、奥方に下で見張りに立ってもらわないとイケません。

「明日はチェーンソーの出動」と提案しましたが、トップに上がってそれを振り回すのはリスキー・・・ここまで手切りでやったのだから手でやれとの奥方からのお達し。

またエンジンがかかりさえすればあっという間に仕事は終わりますが、組みあげと使用後の整備に時間を要しますからね。

 

チェーンソーですとエンジン音で警戒リスクを発せられますが手切りの場合は「そろそろ・・・」くらいの時にたまたま人が通過するようなタイミングはかなりヤバいのです。

あの重さを空中でコントロールすることは無理なのです。

先日も地上に見張りが居ない現場で通行人に足場パイプが当たるという悲惨な事故がありましたが、境内作業であってもその見張りは重大ですね。

 

吊るし切りがベストなのですが、前回奥方にロープを持たせた時に墓石を壊しましたし、あの位置の下には壊す物がありませんので手抜きをしています。

 

「大井川行幸歌会序断簡」~伝後京極良経筆~

但し書きは

「承保三年(1076)10月に催された白河天皇の鷹狩の大井川行幸歌会の序(源師房みなもともろふさ作)の部分。

金小切箔(きんこきりはく)、銀砂子(ぎんすなご)が雲状に散らされた料紙(りょうし)に、後京極流の書風で書写されている。 大井川行幸と師房の序文については、鎌倉時代の説話集『十訓抄』(じっきんしょう)や『嵯峨野物語』で紹介されている。」

 

「大井川」は駿遠に住む者として東京の博物館で見たとすれば一応は目に留まる名称。

こちらの大井川とは大堰川と同様、桂川上流の嵐山あたりということで。早とちりしてはイケません。

 

②~⑤は桂離宮周辺の桂川。②は上流の嵐山方向。

やはり水害と長い間お付き合いしていた歴史があるようですね。