美的骨蔵器と骨壺に舎利塔 鎌倉期五輪塔

昨日は風は多少吹きましたがぽかぽか陽気。

午前は懸案だった境内のボサボサ杉の剪定に着手しました。

色々な部位に痛みが走ってロクな体ではありませんがハーネスを装着しての作業。

午後2時からはお取越が入っていましたのでお昼のチャイムで終了です。

すでに軽トラ荷台80%の積載、週末は雨といいますので様子をみながら作業を続けることにします。

 

そちらでのお取越はお勤めが終わると座卓に場を変えてのお茶菓子タイムになります。「ところ変われば」でいろいろなやり方がありますね。

お話しは「下の世話はもう慣れた」-「いや絶対にありえない」等老いた親の世話各難儀についてが主。

先日あった両親とご主人の介護疲れから3人を手にかけてしまった女性の話もありました。

まったくもって理解同情はできる件ですが、他所いろいろ相談すれば絶対に「何とかなるはず・・・」と。

この手のコミュニティ(お講)含めて人に「話す」「聞いてもらう」ことはとても大切ということを確認しました。

 

さて、そちらでは認知機能についても話題があがりましたが、「元気な認知症」についてのリスク、車を運転しての暴走はじめブチ切れしての器物損壊から他者傷害行為、踏切内侵入による電車往来危険に遅延損害・・・あげていればキリがありませんが、それら行為者よりもその家族に責任が及ぶ各行為について自治体が本腰をあげて来たといいます。

 

「外出」は健康維持に不可欠ですし何より家族としてもよろこばしい事。しかしその外出が事故を誘発しトラブルとなって本人や家族が賠償責任を問われることは辛いものがあります。

そこにそれら年配者の外出に備え、民間の個人賠償責任保険を導入し「もしもの時」に備えようというもの。

 

神戸市の方法ですが個人市民税を引き上げ(400円)て年間で約3億円の財源を確保したといいます。

そちらの人口とはお話にならないくらい少ない牧之原市ですがそのアイデアは悪くないですね。

踏切はありませんし、こちらの住民は年配者の失敗には比較的寛容ですから、失態があたとしても頭ごなしに「賠償しろ!!」には成りにくいのですが、「万が一の不測事態」ということもありますからね。

年がら年中何かやらかす迂闊なる身の私としては有難い保険です。導入が待たれるところ。 

とにかく年をとったからといって自宅に寝ていたとしたらもっともっと不健康になりますからね。

 

さて、骨董品数ある中でこのコレクターもさすがになかなかできないだろうと思うのが骨壺ですね。

キレイな言いまわし方をすれば「舎利容器」ということになりますが、昨日記した瓦塔板碑・石塔が外装とすれば骨壺に舎利容器はその「本体」を納めるもの(象徴的な畏敬崇拝を対象としたものもあります)。

 

以前ここ相良で某家の周囲からカタチのいい高価そうな壺が出てきて「大喜び」して水洗い、中の土を出したら骨が出てきてビックリ。慌てて元に戻したなどいう話がありましたが、埋葬用の骨壺というのは結構に今でいう価値のありそうな良品がありますね。

 

拙寺の墓地で遺骨が満杯になった時など墓石すべての改修は経費的に割が合わないと、遺骨を掬い取ったあとにその骨壺を粉砕させ容積を広げつつ内部を設地(地面に接触箇所をつくる)させて徐々に遺骨を大地に還す方式をとられる方がいましたが意外に勿体ないことだったかも。

私の見たもので「コレ絶対骨壺だ」といえそうな焼き物に数百万の値が付いていたことがあります。

遺体を荼毘に付し遺骨として埋葬することは古く飛鳥時代からあったといわれますが、それ以前といえば土葬かそれに準じた山野洞窟埋葬に自然界放置でしょう。

 

当初は火葬そのものも高貴な者限定ではあったでしょうがそれだけに初期の骨壺といえば今風の下賤な表現でいえば「お宝」的美術品ともいえる品が見えます。

よって骨壺とは言ってもなかなかそこまでの美術品レベルのコレクターは存在しないわけでやはり博物館で拝見するのみですね。まぁどちらの開発工事でも重機ショベルカー全盛の世ですので土の中にいくらすばらしい美術品が隠れていようがそのまま闇の世界に埋まってしまうのでしょう。

 

先日の法事でもお話ししましたが、「現代は人口増大につき墓場を山奥に追いやってきた歴史」でもあります。

あちらも墓の上、そちらも墓の上、あそこは処刑場・・・などなど今の華やかな街区も以前は墓場だったなどまたぞろです。廃寺跡などもよく耳にしますが、遺骨の堀出しに関してはかなりいい加減。堀り残された遺骨の上に暮らしている家もたくさんあるはずです。

どおってことはないですがね。

 

①はもはや美術品。手前は鎌倉時代の宝篋印塔型骨蔵器。

土の中から出てきたものですから遺骨があったのかも。

遺骨はどうしたのでしょう。

陶製骨蔵器は土にそのまま埋葬するのではなく、2つの石材を容器のカタチにくりぬいて器を固定する方式がとられます。

ひと昔前の埋葬用の瓶も周囲は「骨塔」として石材で囲みますので同様ですね。

当家で代々使用していた瓶(骨壺)もやはり墓から堀り出して改葬、容器そのものは家の中に飾ってありますが。

当流でいえば遺骨は瓶や骨壺から出して土に還らせいずれは海に辿るという考え方ですね。

 

④は厨子に入りの金銅舎利塔で江戸期のもの。

こちらは実際に遺骨を納めるものではなく、崇敬の対象ですね。

上下二層型層塔形式で上下とも水晶製舎利容器が入っているとのこと。

厨子の扉に極彩色の四天王が描かれているのがわかりますが、塔一層の扉にもそれが描かれています。

厨子の工作といい層塔型舎利塔といいまったくすばらしいお品です。

 

②③は大磯国府本庁出土の小型の五輪塔。鎌倉時代のものといいます。この手の五輪塔はゴロゴロしていますが、国立博物館のケースに入れられてスポットランプの下にあると有り難く感じてしまいます。まぁ私の出遭うゴロゴロの様子は室町時代以降のものなのでしょうが。