類例希少 古い形式 瓦塔 がとう 静岡弁だと・・・

インフルエンザの流行との報せ。

私の周囲にはまだそのウィルスの罹患情報はありませんが、ここのところの朝の冷え込みで「風邪をひいた」という方は散見しています。

「風邪を・・・」と聞いただけでガチっと固まるように反応をしてしまうのは昨年そのインフルエンザで七転八倒の苦しみを味わったからです。

以後、予防接種は怠れまいと今年からその対応をするようになりました。

 

昨年はちょうど11月下旬の先方自宅の法要にてそれを持ち帰ったわけですが、そちらの孫がそれまでインフルエンザで休んでいたらしい仏間にてその侵入を許したようでした。

昨年もその苦しみを味わったあとに「冬季の法要はヤメにしたい」旨ブログにて吐露していましたが、どうしてもみなさんは法要を忌日に合わせようとしますからね。

まぁ当然だとは思いますが「墓参も本堂も酷く寒いので春を待っても・・・」とは一応は勧めるものの厳冬期に笑いながらの平ちゃら顔でそこいら期間を指定します。

 

仕方がないことですが私からすればマスク着用者だらけの中で一人だけ喉を使っているワケ。

いつも冷や冷やになっていますのでね。一か八かのように・・・。昨日も自宅法要がありました。

何とかやり過ごしたいところですが、冬は長いですからね。

いやな季節に突入です。

 

 

先日面白い記事がありました。

内科医はインフルエンザの患者を診つづけて「なぜインフルエンザに罹らないのか」です。

その中の医師のコメントに「患者を診る度に緑茶を飲む」というものがありました。

 

うがいでなく飲み込んで胃酸でウィルスを消滅させるようですが、緑茶にはそもそも殺菌効果がありましたね。

私は緑茶を小まめに飲むことは習慣になっていますが読経中にちびちびそれを飲むことはできません。

また、先方で供されるお茶についても「子供がインフルになっちゃって」と言いながら出されたお茶を果たして「口にして大丈夫だろうか」などの疑心に陥ります。

申し訳ないことですが、私がその件のたうちまわることはまっぴら御免ではありますが、何よりそれ以後のスケジュールが無茶苦茶になって多くの皆さんに迷惑をかけることになってしまう二重の苦しみが待っているようで・・・。

 

法事というと(たとえインフルエンザになったとしても)「無理しても出席する」という風潮がありますね。何事もそのスタンスが思わぬ流行につながってしまうのですね。

「無理」は禁物、それは他者のためです。

 

さて、画像は国立博物館の瓦塔「がとう」です。

五重か七重層塔の例がありますが、焼物製というのが特徴ですね。これの製作年代は古くて奈良から平安初頭の製作例といいますが、なかなかお目に掛かれる機会がないのは、類例が少なくて尚材質が壊れやすいということでしょうね。

 

コスト的には大型木造建造物から比して格段に手頃になるでしょうから、地方寺院などの崇拝の対象になったのだろうかと。

そもそも「仏塔」は仏舎利を納めるという発祥がありますのでその意図が第一に推測できますが、何せ少ない事例ということでその意義や実際については不詳の代物です。

 

土師器のように脆そうな造形物を積み上げて正立のカタチを作り、それが千数百年の間、立ち続けることはまずないでしょう。

地震は勿論風水害そして兵火人災もありますから。

倒れればバラバラ、粉々はまちがいなし。

もっともそれを嫌って平安期以降、その製作を放棄したのかも知れません。

 

尚、「がとう」は静岡弁のそれの方がピンときます。

その語は「がとうだ」「がとうな××だよ」などと否定を含んだように呆れたように使います。

「いやぁ・・・大変な~」とか「無茶苦茶大層な~」など一筋縄でいかないような人間のことや各状況を意味します。

 

昨日はどちらのテレビでもあの「がとうな薬漬芸人さん」の件ばかり放送していてスイッチはオフ。

あのオバさんのお友達も芋づる式にどんどん捕まっちゃえばいいのにね。

オレオレ詐欺に次いで根絶していただきたい犯罪です。インフルエンザ以上に社会に蔓延りすぎ。