この形式はかなり古い 塼仏―せんぶつ 

先日は毎年恒例、報恩講前の「おみがき」。

本堂荘厳お飾り、黄銅仏具をキレイにします。

ご担当地区から12名が集まり、それぞれおしゃべりをしながらののんびりとした作業でしたがおかげさまでお昼前には終了しました。有難いことです。

勿論、私もその中に紛れて舌長、もうちっとばかし手を動かさねばね。

人の会話に入り込んで耳にした単語に反応してのおしゃべり、終わった後からいつもの後悔でした

 

皆さん「腰が(痛くて)」の言葉があった際、その日の朝、ちょうど見た新聞記事から「腰痛持ちも悪くないかも・・・」と。

その記事を見た人もいて「そうそう」と応えていただく方がいたり「え~」という不審を抱く方も。

その記事の見出しが「腰痛持ちの80歳以上 認知症リスク半減」というもの。

 

痛みを感じること=脳の機能が維持されていることなのでしょう。

また、65~79歳の人で膝の痛みに関して認知症になるリスクが1.7倍高く、「膝が痛い」に加えて+「1日30分以上歩かない人」となると認知症に1.9倍なってしまうそう。

要は「痛いから歩かない」という図式ですね。

その80歳以上の「膝の痛み」に関してはデータ不足から差異は見られなかったそうですが、「腰の痛み」に関してそれを感じる人は感じない人の0.5倍とのこと。

 

痛いながらも体に負荷をかけることが健常につながるのでしょうね。

ほどほどというものもありますが「痛い」を言い訳にせず適当に自分に鞭を打つくらいの厳しさも必要なのかも。

楽ばかり求めている自身反省しつつそんな話をしましたが、オチとしては「自分の痛み」を知るということはやはり「他人様の痛み」に関して理解しやすい・・・かも・・・と。痴呆が進んでいる方は他者の事を思う、配慮のようなものが消滅していきますからね。

何にでも「痛い」からは解放されたいものですが悪いばかりではありません。

 

先般、脳動脈瘤が3つ発見されて2度目の手術を無事終えて現在リハビリ中という方とお会いしました。

そしてそのトータル80針以上の頭蓋内開頭大手術の痕跡を拝見しましたがその痛みというものの「筆舌に尽くしがたい」をうかがって私は震えあがりました。

しばしば頭痛に付き合いつつ時として薬の力を借りてしのいでいる私ですので少しばかりその頭痛の辛さはわかっているつもりです。

 

麻酔から覚めた時はそのうれしさ(手術終了の)を通り越して酷い激痛に襲われるのだそう。

その手の手術後の流れだそうですが、目が覚めた途端に質問の「連続口撃」があるそうです。

貴方の名前、何故ここにいるの?から始まって細々とした周辺色々のこと。激しい頭痛の中それに対応するのも辛いそうですね。

 

しかし思いました。

その激痛こそ無事に生還できた証しだったと。

「痛み」というものの有意義にあらためて目覚めさせられました。

 

さて、古仏は古いものほどそのすばらしさと存在意義を感じますがやはり、その強い生命力は特筆です。

美術的には当然に重大な価値を推測しますが、それよりなによりその仏が現在私の眼前に出現していることが奇特なのです。

地震・火災・戦乱の繰り返しに20世紀の空襲など多くの「痛み」を乗り越えて存在しているのですからね。

 

そんな仏たちの中でも表記画像の如くのレリーフ状の仏像は珍しいものがあります。

こちらはその形状のくくりとして「塼仏」(せんぶつ)と呼ばれています。

仏の姿を見ればあきらかに日本の仏像のイメージとは違い、古代オリエントからシルクロードの香りも漂ってきますね。

 

日本にやってきたのは7世紀頃と言われますので、1300年以上の時間が経過しているということ。

この「塼仏」は後世出現する和製オリジナル仏像や石仏とは違って「仏」としての主体というよりも仏具装飾に使われていたというのが専らだったよう。

製造方法は幼稚というかカンタンで子供のおもちゃの如く、雌型の型枠に粘土を押し付けて成型、それを低い温度で焼成したものですね。よって大量生産されていたようです。

しかし壊れやすい、焼成が甘いということもあって崩壊を免れその形状を残しているものは稀でしょう。

 

①明日香橘寺出土三尊塼仏

②高取町南法華寺出土三尊塼仏

 

やはり時代から奈良周辺の出土が多いよう。

型さえ作ってしまえばコピーしまくり・・・ということは大型建造物の壁やら基壇側壁などに貼り付けられたのでしょうね。