「丸子」と書いてマリコと読む② 丸子宿水神社

色々と学校の先生がバッシングされているようです。

先生が先生をイジメるという件に関して、「凄いな・・・」とは思いますがある意味「そういうこともあるのか」というくらいにしか・・・

 

決してその手の人権侵害最たる陰湿極まりない今風のテーマを軽んじるつもりはまったくありませんが、一般の会社内、社会人の間でもその件よく耳にする話。

どこにでも転がっていそうで珍しくも何ともありませんが、こと教職員同士のそれとなれば世間の目は一層厳しかったということですね。

 

あの教師たちは吊るしあげられてあたかも公開リンチの如く状況になっています。

まぁ自業自得といえばそうかも知れませんが日頃対学校、対教師、教育委員会へと鬱憤を晴らすべく一気に不満をブチ撒けている諸父兄さま各位に社会全般の学校と教師嫌いの皆さま、ほどほどにしないとね。

 日本全国、「教師になろう」などいう酔狂な若人は居なくなりますよ。

 

遥か昔、私は父親に倣って教職の道へ進むことを願われたにもかかわらず、早々にそれを放棄して祖父含め親類にアホ呼ばわりされながらも好き勝手をやってきましたが、それでも「まったくOK」で後悔はナシ。

父親の背中を追おうという気もなければおそらくあの社界・風習に馴染めるものではないと、まったくヤル気もナシ。

 

最近の教師を取り巻く各バカバカしさを見てますますその選択は間違っていなかったと思うワケですが、私の周囲にいる責任感強い教職に就く方たちに「子供さんを教師に?」を投げかければ皆さん異口同音に「絶対にやらせない」と言います。

「これほど辛い思いを子供にさせたくない」とその理由を付け加えられます。

 

あるニュースには「部活動、寮の管理、体育祭や文化祭などの企画運営、学校ホームページや公式フェイスブックの更新」などで「残業時間は毎月100時間、ある月は170時間」とありました。

酷い「ブラック」このうえなし。

そのうえ例の「モンスターペアレント」の襲来。

おつおつ休んでもいられないと聞きます。

トラブル対処のために呼び出されるそうです。

 

そういう状況と教師バッシング旺盛な世の中、「誰が教師などなるものか」は当然のところ。

ということで「教師の質」というものはどんどん劣化していくワケです。

 

成り手が少ない中でも最低限の頭数だけは揃えなくてはなりませんからね。

ゆくゆくは子供達・・・孫たちの教育環境に関わってくるというもので、教師に詰め寄って言いたい事をブチまけるのは勝手ですが結局は自分のクビを絞めていることになるということを忘れてはイケませんね。

 

以前は寺に生まれると教職の道というのが常道のように思われていましたが、私たち世界でも結構に遠巻きに見るべき職に成り果てています。

本当に大変な仕事なのですから、もうちっとばかし大事にしてあげて・・・などと思うところ大。

 

さて、昨日は安倍川右岸周辺の地図を記しました。

藁科川と安倍川が合流し古来からその流域変更の推測からして「水」の暴走が人々の生活を脅かしてきたことは同時に考えられるところ。

そしてまたこの丸子川の存在も歴史的に相当の悪さを下流域にもたらしたであろうことも想像できますね。

 

表題のタイトルは以前(丸子城)にも使いましたので②としましたが幾度かこの地について記しています。片桐且元の誓願寺吐月峰でお馴染みでした。

 

⑤掲示板の如く、手越平太家継が頼朝に東海道の要衝の手越と同様に与えられて宿場町の元になる開発を行ったといわれ、のちの手越河原の合戦によって荒廃した手越から宿駅機能はこちらの丸子に移り江戸期にまた整備を重ねられ後世名を残す宿場になったのでしょう。

 

この「丸子」の地名は各地にありますね。

先般氾濫した多摩川の支流の丸子川も思い浮かびます。

その「丸」の意は「鞠」であってその通り丸く湾曲する(川)を連想します。

要は千曲川や阿武隈川の「クマ」と同じようなことを伝えているよう深読みします。

 

曲がったり湾曲する川は氾濫するというのが常ですね。

安倍川右岸の住宅地がこの丸子川によって水浸しにならなければいいのですが。

 

画像は丸子宿の丸子川沿いにある水神社。

土手の上にあります。③④は神社の前から。

全国至る所にこの水神社が存在しますが、水の恩恵謝恩と水害忌避二つの願いがあったということでしょう。

どちらかといえば後者の意味合いが強かったのでは。

他にこの地域には「水辺の神」といわれる白髭神社が点在しています。

これら神社の存在から名もなき人たちの苦難を推測することができるというものです。