拙寺寺標は只今改修中 倒壊の危険

台風21号は強風域はかなり本州の東に逸れていますが当地は昨日午後から風が強めに吹き出しました。雨域は西から大雨が・・・台風に引きずられる如く追いかけてきているようです。

 

午前中は近くの医院でインフルエンザの予防接種を受けてきました。昨年それで苦しんだ経験からの反省です。

聞けば「5カ月有効」と。

私のこれまで聞いてきたそれは「3か月」でしたからサプライズ。殆どこれで今季はガードされるといった感じ。

油断は禁物ですが、気休め以上の安心を購入したということですね。

 

さて、ハンセン病の家族補償について決定したとのニュースが伝わりました。

国が主導し末端の国民一人一人がその病気への偏見を「つい最近まで」続けていて、大いなる非人道差別を味あわせてしまったその対価(補償額)の支払いとその額が決まったというものです。

 

聞けば聞くほど耳を疑いたくなるような無茶苦茶な差別があったというこの事実を私たち皆が共有し、反省していかなくてはこの「一応のケジメ」は無意味でしょう。

そもそもその程度の補償額で国としての「反省しています」の気持ちはそうは伝わってきませんが。

意義としては「反省」があってその差別の方向転換があったということのみですね。

私たち市民レベルでそのような不合理の歴史があったことを知り、病気とその差別を味わった方たちへの理解を深めて行かなくてはなりません。

 

オリンピックのトーキョー以外の開催地変更大賛成の私ですが期限が迫っている中、開催地として白羽の矢が立った地も問題があって大変そう。

所詮テレビモニター前にいる傍観者の私は結局は他人事、ドタバタ劇をニヤついて見ていればいいのですが、ここでまたふっと思ったことを。

 

今回の開催地変移のIOCの判断は適格だったと思いますが、それに至った判断材料を考えるにたくさんあった日本発のネガティブ情報が思い浮かびます。

枚挙にいとまがありませんが、夏の熱中症による多数の救急搬送者から始まって真夏なのにインフルエンザ患者がうなぎ上り、暑い地域(沖縄)から北上し流行する状況も見せつけました。

また自然の猛威、台風に竜巻の被害について海外メディアは色々尾ひれをつけて報道したでしょうね。事実、大層な被害があったことは事実ですが。

 

RWCという長期間日本に注目が行きやすい時期に台風が首都圏を連続して襲いまた、実際に試合が中止になったということも超ネガティブ材料。

夏に来られた各スポーツ選手のコメントも凄いものがありました。一番驚いた言葉はアフリカのマラソン選手が言っていた言葉。

「東京の夏はサハラ砂漠より暑い」でした。

私たちは夏とは「暑いのは当たり前」というイメージ。暑いけれどもそれなりに対応、何気なくすごしていましたがその言葉を聞いて驚きました。日本人と海外の人との捉える感覚はまったく違うということに気が付きましたね。

 

私がそれでもやはり海外の人たちを驚愕させたことはと思うのは、首都圏が2発の台風でボロボロになって一部交通等機能不全に陥ったこともそうですが、何よりあの台東区の判断、「住民票が無ければ避難所への入所を拒否」の件ですね。

東京都内での台風による死者(水死)はやはり一人いましたが路上生活者でした。

 

直接その死と台東区の無慈悲とは関わりはありませんが、これは海外の人たちからすれば案外切実となる脅威ですよ。

日本にはまだそういった差別意識が存在していることを世界に知らしめてしまったのでした。

台東区といえば私は学生時代に世話になった東京本願寺がありますので、トーキョーでも身近な感覚。

人情の下町のイメージがありましたがあのニュースにはガッカリでした。

要は外国人観光客(住民票が無い)は「置い出される」ということを印象付けたということ。

 

そのような差別を旗印に掲げたてしまったことの重大さを重大と思わぬ無神経も今回の東京から避難したいという動きにもしかして繋がったかも知れない・・・などと思ったワケでした。

 

避難所に詰めている御担当の気持ちはわかりますが、まったくお寒い差配をしたものです。

危機対応のシステムが未熟であると一言でいえばそうなのですが海外の人たちはその手の感覚には敏感ですよ。

 

穿って考えると、台風荒天の中避難所詰めの役にあたって「なんでオレが」という気にもなることは「わかる」ということです。

変てこな権威を振りかざされても有難くも何ともないですよ。

形式だけの避難所をイヤイヤ開設(そのように感じられる)するなら最初からヤメればいいのにね。東京都さん。

 

今、拙寺門前の寺標の土台に手を入れています。

父が山崎貞一氏の寄進申し出を受けて建てたものですが、当初その位置については頭を悩ませたとはいいますが、結局は門前の道路側の今の位置になりました。

 

その門柱が道路側に傾き出しているのに気づいたのが昨年あたり。その傾斜角度が徐々に狭まっていることに気づいたのがここ数日のことでした。

台風の強風のためとか地盤が緩くなったためあるいは近くの木の根が張り出したためと倒れた後の講釈はできようというものですが、「もしも・・・」のことを考えたら放置はできないことと、一気に業者を呼びました。

 

画像は石屋さんに正立してもらったところですがベース部分を念のため今より10㎝以上コンクリートを打って巻くことにしています。

緊急性があるため世話人会にも議題に挙げていません。

それはもし次の世話人会(来春3月)まで何も手を入れなかったとして寺標が倒れた場合、石柱は当然に壊れもしましょうがたまたまそこを通った人があったとしたら・・・を思量すれば居ても立っても居られなくなりました。

あの位置はまた、墓参りやあそこを通るお婆さんたちが座り込む絶好の休憩場所。

 

極論ですが「傾いていることを知らなかった」は通用しませんし、それを知っていて事故が起こったということは管理責任は当然問われます。「末必の故意」(刑事)を指摘される可能性もあるかも知れません。

 

コンクリートも劣化します。そろそろまともな補修の時期でもありました。

まぁ一言父親に言わせてもらえるとしたらたとえ倒れたとしてももう少し無難な場所を選んでもらいたかったですね。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 25 10月 2019 08:54)

    寺標の件、傾きに気がつきませんでした。よく気がつきましたね。
    私ども通りの街灯が台風のお陰で1灯落下いたしました。
    台風のお陰で?人は歩いていなくて良かったですが、緊急点検したところ
    4分の一が危ないと言うことで撤去しました。
    結局 寿命と言うことですが、全部の街灯の取り替えをする事になりました。
    「未必の故意」は困ります。通りにとって大きい出費です。
    事故がなくて良かったです。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 25 10月 2019 18:39)

    ありがとうございます。
    一見「大丈夫」と思っていても色々なところから何がしかの隠れた「残念」が
    出てくるものですね。
    経年劣化は自然への納税義務と考えて修繕のタイミングとします。
    そうこころえてやれるところは淡々とこなしていければと。