駿府城ヒストリア 静岡市が買った中村家宛家康書状 

夜半の風はやんで朝になれば無風、そして快晴。

予報の通りであれば台風は12日土曜の遠州最接近となりますので、台風対策は10日木曜日一日で十分OKです。予報としても「晴れ」ですからね。

ということで一つ余裕をかまして静岡市内へ向かいました。

微妙に東寄りに台風の中心線が移動しているように見えたことが唯一の気休めでしたが。

何度も記していますが、そうなれば遠州は軽度ながら、伊豆半島と関東南部、千葉の重大な災害が予想されますね。

いっそのこと大きく太平洋側に逸れればいいのですが。

 

静岡は駿府城坤櫓(ひつじさるやぐら)へ。

奥方と100円玉を握りしめてです。丁度夜間は「ヒストリア」は駿府城でした。

1800年代に記された「駿国雑志」に家康から中村家宛てに出した書状の写しがあったことが知られていたそうですが、その原本が都内の古書店にあって去年そちらを静岡市で購入したとのこと。130万円だったといいます。

その際、判明していなかったこの書面の日付がわかったということでそれが、家康が石田三成の挙兵を聞いたあとの慶長五年(1600)7月27日。

その月に亡くなっていた駿府城主の中村一氏を承継する一氏の弟の氏次(中村彦左衛門)と一氏の妹婿の横田村詮(横田内膳正)に宛てて、駿府統治に発破をかけるような主旨です。家康は駿府に未練があったことは当然ですが、その先も見据えていたのでしょう。

 

式部少輔死去に就き 其の国諸仕置等ならびに軍法以下の儀

式部少輔の申し付けらる如く 無沙汰あるまじく候 

                      恐々謹言

 

まぁ関ケ原の松尾山で動かぬ金吾(小早川秀秋)の陣に家康が大筒を打ち込み自己を主張したのと同じような感じか・・・

 

驚くところは静岡市が喉から手が出るほど欲しいものがたまたま神田あたりの古本屋さんから出たこと、そしてその価額130万円もの金員をポンと出す太っ腹ですね。

駿府城は今中村一氏時代の主郭址から出る夥しいほどの金箔瓦の発掘で湧いていますので静岡市が欲しい理由は大いにわかります。

 

もっと驚いた事は画像⑤の如く「撮影OK」の件。

拙ブログでも「撮影禁止」の色々について何度か「ケチ臭さ満点のやれやれ感」を記していますが、よろこばしい傾向だと思います。どんどん広げていただきたいですね。

 

画像を撮影させて減るワケではあるまいし、むしろこのように画像を紹介できれば「現物を見てみたい」という人も現れるかも知れません。

先日も奈良国立博物館のあの青銅器コレクションのコーナーだけではありますが「撮影 SNS投稿OK」にしましたね。

さすがに最大見ものである仏像館はまだ無理のようですが・・・

まぁこれらは寄託が多く、すべての所有者の承認を得なくてはなりませんから難しいのでしょう。

以前も記しましたが拙寺本堂内の写真撮影はまったく問題なし。「ダメ」の意味が一体何なのか理解できません。 

 

コメントをお書きください

コメント: 4
  • #1

    がつお (木曜日, 10 10月 2019 10:06)

    この手の古文書購入の支出科目がわかりませんが、静岡市の決算書を見ると平成29年度の文化財保護費で1億円ほどの不用額がでているので130万円だったらポンと出せる可能性はあるのではないでしょうか。

    話は変りますが関ヶ原のあたりの話で、我がご先祖様で家督を継いだ次男は於伏見討死、長男と三男は濃州瀬川討死と過去帳に記されています。
    某元国立大学にある家伝に「(長男と三男は)関ヶ原御合戦のとき中村式部少輔手に加わり野一色頼母と同時に戦死した」とされています。
    博物館等々の資料もそうなのですが、大学保管の資料なども積極的に公開展示(写真撮影)してくれるともっといいのですが、こちらも寄託物が多いのでなかなか難しいようですね。

  • #2

    小山昭治 (木曜日, 10 10月 2019 11:19)

    島根の博物館も撮影OKでした。なぜ撮影不可なのか本当にわからないね。
    素人が撮影するのは「たかが知れてる」程度。ライトを持ち込むわけではないので
    減るものではないし、痛むものでもない。何をお高くとまっているのか不思議。1年一度のご開帳もわからないけど、こちらは信仰上ありがたみを付けることでわかります。

  • #3

    今井一光 (木曜日, 10 10月 2019 20:07)

    がつおさん ありがとうございます。
    静岡市のその担当者はたしか、その手の史料があればまだまだ「購入していきたい」くらいのことを仰っていましたので、やはりそれだけの予算があるということですね。
    また、しかしがつおさんのご先祖様は勝ち組の東軍ではあったものの苛烈極まる戦場を
    廻ったのですね。伏見城は東軍の捨て石のようなものでした。勇壮でならした武将野一色らと動いていれば当然の如く「無茶」に流されかねませんし・・・

    寄託しても匿名記名かかわらず公開するという風潮を待ちましょう。
    運営側の管理も手間が増えることから機械的に「撮影禁止」に・・・というところもあるでしょうね。




  • #4

    今井一光 (木曜日, 10 10月 2019 20:30)

    小山さん ありがとうございます。
    そうなのです。
    ガッチリ展示ケースにおさまった史料を撮影するのには結構難しいものですね。
    何よりも照明の干渉と余計なモノの写りこみはどうにもなりませんね。
    ということで大した画は撮れないものです。技量もまちありませんし。
    撮影する者もお気楽な記念写真レベルでその画像で一儲け考えるなどありえない
    でしょう。
    拝観料を払って「撮影禁止」看板を見ると心底「ケチくさい」と薄っぺらく疑うべき
    昔ながらの「正義」を感じてしまいます。