小貫浮島堂松の図と黒衣の観音 地元に残る由来

昨日辺りから台風19号の進路予想が出てきました。

勘弁して欲しいところですがどうやら「関西から関東」の上陸は確定的のよう。その中心といえば私ども遠州の地。

今のところ当地は「台風進路の東側」になるような感じがしますのでハッキリ言ってかなりヤバイ・・・。週末までに様子を見ながら対策を。

 

台風15号の対応遅れもそうでしたが、お国のお偉いさん連中は何もかもお手上げなのでしょうか。

次から次に出て来る、坂を転げ落ちるが如くの人工減少を表す数字を見てとても歯がゆい思いがします。

 

政が機能していないとしか言いようがないような低レベル。

2018年の出生数は3年連続の100万人割れの91.8万人と最低を更新(出生率1.42)していましたが2019年の1~7月の出生数は前年同期比5.9%減の51万8590人で4年連続減。

このままいけば2019年の出生は当初の推計より2年も早く「90万人割れ」とのこと。

 

口では経済成長だの社会保障の充実だの仰られたとしても殆どその整合性はありませんね。

なぜなら「人がいない」のですから。

「何やってんだ、何とかしろ」と罵声を浴びせたくなります。

お得意の経済繁盛噺はそもそも「人」あってのことでしょう、華々しい未来などは絵に描いた餅でしょうよ。

 

さて、昨日の小貫の薬師堂の松の図掛け軸を。

中でお参りさせていただきましたが、痛みはキツイですね。

遺していくということがいかに難しいか痛切に感じました。

 

浮島堂由来が記された冊子をそのまま画像アップさせていただきましたが、浮島堂の松の大木について磐田見附の晩霞なる画家の松の図の掛け軸があります。

この画家は当地近隣の民家を泊まり歩いてこの松を描いたといいますが、近くの佐藤家に何度か宿としたそう。その佐藤家にも別だてで描いた画が残っているそうです。

その御当主によれば堂の前にはかつて演芸等行われる舞台に相撲小屋もあったそう。

 

地元に「人がいない」ことには何も出来やしません。

まったく・・・

①は昭和42年12月の浮島堂。明治22年に倒壊した松にはヤマザクラが寄生して春には花が咲くなど華やかだったそう。

それを惜しみ2本の松が植えられたといいます。昨日の図と違って道はなく、田圃の畔が見えますね。⑦は昨日ブログ、堂の裏の歌碑の歌。

 

⑧に身の丈70㎝舟形光背台座合わせて1mの観音像が収まりその足元に20㎝ほどの木仏4体が並んでいるとのことです⑨。

実は松に引っかかっていた仏像とはその小さな仏だったといいます。

 

余計なお世話ですが掛け軸も痛みが少々目立ちます。

この堂についてはウィキにもアップされていましたのでご興味のある方はどうぞ。

最後の画像が小貫の「有徳なる人」になりうる「土井酒造」。