笑顔で退散 大浦十一面観音立像(腹帯観音)

昨日は恒例の人間ドックの日。

朝7時過ぎに家を出て「1番」を狙いましたが一人先客が。

その日は17~8名の方たちが並んでいました。

昨年のドタバタ(胸部X線撮影で影が出て要再検査。MRIで診断するも異常なし。診断は乳首が「写りこんでいた」)を思い出しますが、またいろいろと指摘を受けて帰ってきました。

 

サッカーやラグビーのイエローカードの類ですが私はたくさんのその色のカードが蓄積しているようです。歳を重ねればどこかしらの不全の出現は当然ですが「一発レッド」だけは避けたいですからね。

 

「酒も飲まないのに肝臓の数値が悪い」のは「何らかの異常か・・・」というのはいつものご指摘ですが、一度内科で肝臓の薬(「ウルソ」)を処方できるので再診を勧められました。

運動不足と甘いものの取りすぎとはうすうす感じますが血糖値の方は正常なのです。それだけでも有難く感じなくては・・・。

カードでいえば肝臓だけで「3枚」は出されていますがこのイエローの累積に関しては結果的に結構に緩いお沙汰をいただいているよう。勿論、阿弥陀さんに。

 

「警告」について有難く受けなくてはなりませんが、今回のご指摘で新しいものといえば、「胃が上に上がってきている」と。

これは「寝たきりの人の症状」だそうで要は運動不足なのでしょうが、改善法は「深呼吸」であるとのご指導をいただきました。

この件、横隔膜という筋肉質の期間の力が落ちているということらしいのですが、この呼吸だ発声だの件、仕事柄その習慣は「人一倍」といってもいいくらい自信ある私にとって私にとってこれまた「面妖なり」。

人間の体、やはり四苦(生老病死)の特に「老病」のその両極端の間の部分は一筋縄では行きませんね。

 

とはいうもののその両端の「生死」(しょうじ)についてもまったく「人の想い」は叶わぬこと多々あるもの。

その「生」でいえばいのち「誕生」という人生のスタートという大イベントがあるワケですが、そもそも昔からその人の誕生ほど不確定なものはなく、往々にして子も母も絶命してしまうことがありました。

それだけに子が誕生し、母体とともに健やかに育つことが如何に奇特でよろこばしいことだったか。

「七五三」の目出度きステップもつまるところ「無事」を祝うイベントでしたね。

 

さて、大浦の2つの阿弥陀さんの堂に挟まれた観音堂の主(あるじ)について。ブログではこの大浦は5回目。

実はその地大浦で一番に著名な仏像がそちらにありました。

それが表記「大浦十一面観音立像」通称「腹帯観音」です。

 

わたしにはその出産という件、漠然とは理解しているもののハッキリとそのあれこれについては想像の域で説明不可。

よってその「腹帯」とやらの意味はわかりませんし、敢えてこれを調べようという気もおこりませんが、あの時、堂の中に数人の人影があっていつもの突撃・・・。

 

人が居てお堂が開いているありさまは・・・「こりゃあ有難い」とばかり。急いで入り口近くまで上がりました。

ひょっとすればその十一面観音をカメラに収められるチャンスをいただいたかもしれません。

 

そんな気持ちばかりが先だってまったくノー天気に「そちらに私もお邪魔させて欲しい」の声掛けをしました。法事をやっている感じではなく雑談にしか聞こえませんでしたから・・・

すると堂内には妊婦らしき女性3人と黒衣を着た坊さんが1人いて、まったくけしからん風の顔。けんもほろろに拒絶されてしまいました。

 

その場の状況について当初はピンときませんでしたが、よく考えてみれば私の登場はまったく「お呼びでない」ということで

まさに「これまた失礼!!」なことがわかりました。

そういえばお母さんたちは唖然とし、坊さんは呆れ顔をしていましたね。まぁ旅の恥ですし笑顔で退散しました。

 

⑥は当地の観光情報サイト「長浜・米原を楽しむ」から拝借しました。