「No Brain No Pain」 桑名の本多忠勝像と墓

昨日の法事は最近にはない大人数の御参列。

施主子供たち(4人)が成長しそれぞれが伴侶を伴いかつその子供がさらに婚姻し子供達を連れてくるという構図です。

施主は一時期子供4人を一人で育てることができず、親戚に預けるなどして急場をしのいだそうですが、辛く苦しい日々が続いたことを仰っていました。

 

それは大いに理解できるところでありますが

今のこの幸せはすべての人が望んでいるはずで「人の幸福の王道を行ってますよ・・・」と私の勝手な思い付きを添えました。

 

今一つ勝手な事を記して申し訳ありませんが昨日の法要も台風による大荒れが予想されていましたので、「おかげさまですね」とも。

毎度自然の事で人の思いが通じるものではありませんが、その台風で酷い目に遭っている人たちがいるのですから「おかげさま」はやはりあくまで自分目線でした。

 

さて、先日お会いした方の口から「以前は国安に・・・」との話がありました。そんな時「私の脳みそは無茶苦茶・・・」と思わせる現象が突発的に出現します。

その単語・・・「国安」に反応し相手の話をそこでバチッと切ってしまい、「おお、それこそ武田方の高天神攻めのいつもの塩買坂からの迂回コース・・・」などと知らない人が聞いた(どうでもイイという人も・・・)としたら「何それ」的「不思議とドン引き」を思うでしょうね。

 

会話が自分の興味のある方向にぶっ飛んでしまうところが私の異常性、「わかっちゃいる」のですがついつい・・・です。

他者の話に「耳を傾けない」風は自意識過剰からか?

まったく・・・みっともない話で痛い・・・

それからまたどう展開するかといえば映画「影武者」の本多忠勝の件。その塩買坂の講釈がはじまってしまいます。

丁度「諏訪原城崩れ」関連から当地に土着帰農した真田系の話もあって、真田一統は塩買坂に信玄にも勝頼にも付いてきているはず・・・などと止めどもなく展開していました。

NHKのラグビー特集でオーストラリアの選手が言っていた

「No Brain No Pain」・・・「バカは痛みを感じない」は尚痛烈。

 

また、「集中力は恐怖心を消す」という言葉に感じ入って奥の細道氏に先日降雨で諦めた小笠山砦への馬の背コースの再チャレンジを「集中力をもって克服しよう」と勧めるもやはり拒絶されてしまいました。

 

これまでどうこうと本多忠勝と相良に来た本多忠晴系についてブログで記していましたが(一番下のサイトマップからCtrl+Fで「ページ内の検索」が出ますので目的の語を)、肝心の忠勝の墓は登場していなかったことにハッと気づきました。

ということで桑名城の近くの浄土寺の墓です(場所はこちら)。当家奥方の縁者の住む大多喜にもありますね。

今回大多喜町ほか周辺地域は台風15による風害をモロに受け、後手後手の自治体の動きによって大災害となっていましたが、その桑名といえば当時は風水害は日常茶飯事の場所でした。

忠勝が本腰をあげて現在の如くの町を作ったといいますね。

 

まぁ水害から領民を守ることが為政者の一番の仕事ですから、それに頭を痛めるのは本多忠勝のみならずトップたる者の当然の姿でしたが。

そしてまた彼こそ「(自身)痛みを無視」(いつものランボーの台詞)できるほどの人だったイメージしています。

 

石鳥居の向こうに単一墓域があって彼の傘塔婆風墓石がありました。徳川四天王、家康家臣団無双の猛者と囃された武将でしたがその人の墓にしては「とても地味」な様子。

ただしかなり以前の画像です。