こちらの「藪の中」とは・・・ 三体摩崖仏

かつて遠州を大迷惑に陥れた台風や地震といえば、昨日あたりの千葉のブル一色の異様な風景と重なります。

あの時、ここぞとばかりに遠方から各業者入っていましたが、中にはデタラメな仕事をしてぼったくりの荒稼ぎのチャンスとした輩も少なからずいて「こんなことでもなけりゃ・・・」などと囃し博打ものの大当たりを歓喜するが如くだったと聞いています。

 

不謹慎ですが「人の不幸は蜜の味」などという語もありますが、それであればただ傍観してほくそ笑むだけ。口では「心よりお見舞いします」などの美辞麗句は発するものの実の腹黒いところは時に楽しんでいたりするところですが、その荒稼ぎの衆は被災地に出向いて尚ボランティア風を装ってテキトーな仕事を「ざっと」して大枚現金を請求しますのでかなりのタチの悪さを思います。

 

「助け合い精神により支えあう日本人」についてよく聞きますが、オレオレ詐欺に多重債務者狙いの詐欺、そして被災者向けボッタくりに火事場泥棒の輩の出没はそんな美しい日本形容の言葉が「ハッタリだった・・」と疑念を持つに至ります。

またくもってみっともない話です。

 

屋根屋の仕事(大工・瓦屋・ブリキ・・・)の需要は逼迫し職人はこれから「喰うに困らない」状況が続くでしょう。

「他者の不幸が私の幸福」という利害図式になるとすれば人間関係はよりギクシャクするでしょうね。

 

行政いろいろの発信を傍観しますが、どちらも大抵は責任について「私じゃなくて・・・〇〇某がイケない」というのがその主張の主。あと、恒例の「想定外」の三文字にて締めくくるパターンですね。

その三文字の使用は反則でしょうよ。それを「保身の三文字」と名付けましょう。

気象庁はハッキリと15号の進路予報を出していましたね。

監督責任のある部署が楽観を決め込んで他者に責任をなすったということが今回の最大の反省点でしょう。まぁ東電のノー天気は叱責モノですがね。

 

課題としては電柱は倒れるし電線の露出は切断の憂き目から避けられないということ。

現在電柱をせっせと立てなおして電線を張りなおすなどしていますがまた同じことは起こるでしょうね。

見苦しい電柱と電線は土中に埋めましょう・・・全てにプラスに働きます。

 

今回の責任転嫁の示唆は露わとなって問題点もわかりやすくなったようですが、フツーはその保身による失策、罪の擦り合いについては当事者証言によるものだけ。

それぞれが自身に都合の良いことを並べてストーリーを展開しますので傍から見ている者には何が真実なのかわかりません。

 

それを一言で「藪の中」という語を使いましたね。

芥川龍之介の今昔物語から引っ張ってきた小説の名ですが、

「事件」の真実については当事者と事件の展開した世界・・・

「藪の中」について、第三者にはサッパリわからない・・・という意味に使用されます。

まぁ私の思う「藪」とはまず永田町をイメージしますね。

魑魅魍魎に百鬼夜行とでもいいましょうか・・・。

 

さて、昨日のあたご灯籠から浄瑠璃寺方面に進めば左側に「やぶの中~」なる立て看板が目に留まります⑧。

こちらか当尾の摩崖仏の中でも「わらい仏」に次いで有名な仏さんたちです。

特にバス通り沿いにあってあの辺りを散策すればどなたにでも何の苦も無く参拝できるというお気楽感があります。

わらい仏なら山道を少々歩かなければイケませんからね。

⑧図のスグ奥が⑥図となります。

 

すると岩に舟形の光背を設けて中央に地蔵、右に十一面観音、左に阿弥陀さんが・・・阿弥陀仏が中央を向いている配置ですがこの三仏とその配置に関してその理由については不詳です。

作は橘安縄、弘長二年(1262)とあります。

 

(藪だけに)蛇足ですが三仏はこの藪の中で保身の罪の擦り合いをしたのではなく、ただこちらがたまたま「藪の中」にあったということですね(場所はこちら)。