白毫寺本堂と万葉の碑 高円の野辺の秋萩

この連休中は当地はじめいたるところでお祭りが開催されるよう。毎年同様の事ですがその間に法要を入れる家は皆無です。

かといってフラフラっと車で飛び出したとしても祭典の神輿の通行止めにひっかかってイラっとさせられること多々。

境内雑用に励むとしましょう。

ちなみに息子の方はしっかりと法務に勤しむそう。

 

例年ならば小田原へ墓参に行く機会としていましたが、今年は奥方が別件で単身東上しますので今回はパスということで。

 

「千葉大変」の無策長期化はまったく気の毒な事です。

千葉以外でも惨禍を味わっている所は各ありますが、どうやら「些末な事」としてスルーされているのかも知れませんね。

人は自分に関わることには大いに関心を抱きますし、メディアの動向に影響されがち。報道がなされなければ「なかったこと」にされてしまうのですね。

 

お上としては口をそろえていつもの「想定外」の語を予想通りに並べていたことはこちらとしては「想定内」。保身の言葉「想定外」。エライ人がそれを使うとそう感じてしまいます。

 

三連休の3日目は雨予想になっていました。

再び台風が北上する気配ですね。

今回の件で政に頼ることは「できない」ということはカンペキにわかりました。

やはり早め早めの対応を「自分たちで」心がけなくてはイケませんね。

 

たとえば手っ取り早く飲料水に食料。賞味期限を考えてしまいますからガッツリ買いだめは利きません。

そして電池(電源)・簡易コンロ等々。

私は念のため車の燃料は満タンにして井戸の水量を確認しておきます。手動ポンプがぶっ壊れていますので水が確認できれば修理しなければ・・・

尚、「念のため」とは「今」の私の「心」。

事前の準備こそ「私のため」になるということと勝手に。

 

また、奥方の大多喜町の親類の家は昨日電気が開通したとのこと。「1週間後かも」とアナウンスされてその日のうちに開通したとなればうれしさ、ありがたさは数倍増しでしょうね。

「スグにでも開通」と言い触らしておいてそれが繰り延べ順延になったとしたら怒りは倍増。

そこのところ、人間の心理と行動をよく理解いただかないと。

それにしても「2週間以上」レベルとなればまるで絶海の孤島に流されたようなものですね。

 

さて、白毫寺は元は天智天皇の皇子、「志貴皇子」の山荘があったといわれ境内には皇子死したあと笠金村(かさのかなむら)が詠んだといわれる万葉歌碑が建っています。

 

昨日ブログは春先の図で階段の脇には椿の花が見えましたが、こちらは椿もそうですが「秋は萩」というのか定番のよう。

主の死という無常に接してあの地の秋に必ず咲く萩(不変)についてやはり自然世界は変わらないのだろうという悲哀溢れる達観なのでしょうか。

 

皇子は天智の7番目の皇子で(父が天智天皇ということもあって)政世界からは隔絶したいわゆる文化人。

ところが彼の没後かなりたってから彼の息子が光仁天皇として即位したために死後大いに讃えられ天皇名を贈られた(追尊)人でした。

 

本堂は画像の通りですが、阿弥陀如来ほか諸仏像たちは「宝蔵」と呼ばれる新造の建物に納められていました。