夕日-日没-西方浄土は阿弥陀さんか 「夕日観音」

奥方の千葉の親類はたまりかねて娘の家に転がり込んだそう。

昨日も記した停電と断水生活からの脱出行ですが、待てど暮らせど再開の目途はたたず脱出したと。

ペットの犬も同行とのことですが、私どもがもしそうあったとしたらネコどもの同伴はムリでしょうし、ただただ耐えるしかないでしょうね。

 

春夏秋冬の各時節、電気と水が無い、自動車の燃料や灯油が無い、飲食物が無いのナイナイ尽くしを今シミュレーション。

その時「さぁどうする」を突き付けられているようです。

まぁ「次は私」を念頭に入れて生きる事が肝要ですね。

頼れる者があればイイですが基本、安全と安心は自分で確保しなくてはなりませんね。

しかし「準備を」と一言に言っても何事もコストは高くつきそう。心の準備はできました。

 

さて、昨日の寝仏の標識の近くには「夕日観音」とも。

この寝仏の上の崖には地蔵3体+1体の摩崖仏があってこの看板はそのことを指しているのかと思いました。

これより前に見た「朝日観音」を対にしているようでもありこの地蔵の列に不可解を思いましたがその摩崖仏の直下まで上がって少々川下側に歩を進めて見上げるとこちらを見下ろす眼差しを感じました。

 

かなり上の石の塊に仏の姿が確認できました②ので「もっと近くに」とばかりに崖を上がりました。

こちらが「夕日観音」ということでしょうが、観音ではなく立ち姿の阿弥陀さんでしょう。

時間は早朝でしたが、本当にこちらに夕日が差し込むのでしょうか。きっとどちらの仏たちも後付けの名称でしょうね。

 

尚、私はこちらの仏の足元まで辿り着けましたが⑥画像の如く設置されていたトラロープのおかげです。左側サイドの緩斜面から回り込みました。

複数の人たちで上がるとなれば崩した石で下方にいるグループメンバーや相方に直撃しないように細心の注意が必要です。

まずは自分自身の安全が第一となります。

 

ちなみにトラロープはモノを縛ったりするには不向き(テンション掛けにくく硬くて痛い)で使用としてはこの手の案内ラインか通行止のアピール程度。

特に手摺り案内の使用には軍手の着用が必要かも。

 

まぁそもそも遠方下方から合掌してその恩徳を喜ぶというのが阿弥陀仏礼讃のスタイルですので私の場合は「近い!近すぎる!」だったわけで。

そもそも阿弥陀仏のカタチは化身、目に見える「仏像」は「仮」の姿でした。