中馬街道住久保の石塔 瑞浪の念仏講中碑

将来の私たちの老後の支えである年金への心配は尽きませんね。他に心配してもしょうがないことも多々無意味に抱えていることありますが、コレばっかしはお国が「心配するな」と声高に言っている分、ますます信用がおけない・・・と連想してしまいます。

国のやっている事はデタラメばっかりですからね。

たとえば海外戦没者の遺骨収集の件。先日来明らかになりました。

「日本人ではない遺骨」であることが先方の指摘によってわかっていたにも関わらず決められた予算をキッチリ使うという主旨なのか漫然と外国人の墓地を掘り起こしては「回収」を続けるという無神経体質もそう。だんまりを決め込んでね。

そんなふざけた体質は昔からそうですから今さら驚くには至りませんが。

 

年金システムについて(瓦解することなく支払いは続けられるから)「ご安心を・・・」とは言われても問題はその額ですよね。

ドンドン目減りされたのではトリックというか話が違うという以外何物でもありませんからね。

せめて私が支払ってきたそれを老後の生活に充てたいというのが人情ですから。

 

斎藤環先生が記す「ひきこもり長寿社会」によって財政は破綻するかも・・・という記事を見ました。

ひきこもりといわれる人の推計値はお国の試算では115万人といいますが、斎藤さんの指摘では「200万人以上」というのが実情であると。

それが20年後には1000万人を超えるというのです。

それが「ひきこもり長寿社会」と。

 

耳にするのも恐怖を感じるその言葉ですが要はその方たちは所得が無かった方たちで当然ながら納税はありませんね。

ただ親たちは働かない子供であっても将来を案じて年金だけは・・・と支払いは継続しますので権利は当然ながらあります。

無年金の人たちも大勢いるでしょうし。

 

私もそのような経済的困窮パターンの家に各遭遇しますがきまってまずは「年金」や「福祉」システムの何かしを探そうとアドバイスします。

少々ポイントを外しますが先般も中皮腫を患った方に詳細聞くと「かつてアスベストを扱っていた」とのことでしたので、国からの給付システムについてお話しを振りました。

享受できる権利について、それらのところは憲法で保障されていますので当然の事です。

 

ところが「ご長寿社会」による危惧は多くの受給者が長く「生き続ける」ことですので、国の支払いは増えていくのみ・・・ということがその論理。

 

言い方は悪いのですが、年金をタップリ支払った方たちが「さぁ年金受給」という頃合いに「死んでくれる人がいない」ということでしょう。そこのところ国も計算ずくですよね。

どうやらこのシステム、早死にしてくれる国民がいるからこそ維持できていたということなのでしょう。

 

国にとっては「ありがたい」人が少なくなって「生産性」(かつても今も)のない医療費ともども値が張る老人たちがずっと長生きしていくことほどの恐ろしさはないのかも知れません。

しかしお国の現状、それを恐怖とは感じていても、その今のひきこもっている皆さんへの対応は殆ど見えてきません。

一体どうするつもりでしょう。200万人。

 

ひきこもりと一言でいっても人それぞれ千差万別。

国の政治家からまっとうな対応をしようする雰囲気が伝わってきませんね。

とにかもかくにも私どもは出来る限り長生きしてその様を見届けることです。その時になって無為無策無能の政治を恨めしく思っても遅いのですが・・・。

 

何度も記しますが「200万人→1000万人」の無職って・・・もはや喜劇の領域に入っています。

まぁ私もおかげさま、息子が自宅で遊んでいたらこの手のことを記す気にもなれなかったでしょうから、当流風に言えばただただ「御恩報謝と存じ よろこび申し候」です。

この件、本当に紙一重なのかも知れません。

 

さて、中馬街道-国道363号線を瑞浪方向に進むと住久保なる地に室町期といわれる地蔵ほか、道祖神(土岐教育委員会の看板)、板碑に五輪塔残欠が覆堂の下に並べられています。

②バス停の手前になります(場所はこちら)。

車を何となく走らせていれば自然と目に入ってきます。

 

この手の看板の件、半分「なるほど」、半分は「本当かな?」というところがありますが、こちらの看板も少々首を傾げるところがありました。

地蔵の室町時代については何かの確信があるのでしょうからそうなのでしょうが、一見二体石仏に見える墓石風の石碑について「道祖神」との評価。

しかしこの手の石仏は近江(たとえばこちら)から京都(たとえばこちら)にまったく普通にゴロゴロとありますからね。

 

また五輪塔の笠(火輪)の部分だけが重ねられたものが並べられているのも誤解を招きます。それだけで全体が嘘くさくなってしまいますね。

 

最後の画像がその道をしばらく行って瑞浪市に入ったところ左側の崖に立っている享保時代の念仏講中碑。

さすが古い街道筋ときてさりげなく石仏たちとの出会いがありました。