三河産の塩 足助にて集積 塩の道 中馬街道 

昨日はいつ降り出すかわからないような天気の中、軽トラの荷台を作業台にあれこれ雑務。

遠くの空から雷の音がずっと響いていましたが結局は降雨無しで仕事は捗りました。

夜間は降ってくれるだろうと植木鉢の水やりはナシに。

 

さて「塩の道」なる語は相良人となれば特に耳に親しんだお馴染みの言葉。街をあるけばそれをしるす標が目につきます。

それに因んで砂浜では塩作りのイベントなど開かれたり、実際に作られた塩を販売したりその歴史について特に主張もしています。

しかし、古来から沿海での塩作りは山間部への絶妙の商いの素で

そのルートは各所にあってその名を残しました。

今でこそ当たり前のように家庭の台所、食卓に備わる塩ですが、自給自足時代の山間部となればそのルートからもたらされるそれに期待するほかはありませんからね。

塩こそ人間の活動を維持するための必需品感大なる品物だった時代があったのでした。

 

ちなみに「塩分控えめ」が呼ばれるようになって久しいですが、夏の仕事の後の渇きに今一番ハマっているのが飲料「ソルティライチ」。冷茶もイイですが体的にコレだと主張している感があります。染み込み感が半端ではないのです。

やはり塩がポイントですね。

 

妻木城への自家用車での登城口のある県道19号線(このあたり―詳細失念)に津島神社と中馬街道の件が記されていました。

あの時はこの19号線を妻木を背にして進み国道363号線の柿野ー細野―曾木という部落を信州方向に進んで小里川ダムへ辿りましたがその国道363号線が通称中馬街道―塩の道―になります。

 

こちらの塩の道の塩は殆どが三河湾産。

尾州含め三州沿海部の塩が信州を目指して北上しますがそれらの塩は一旦足助に集積されてそちらから荷を新たに仕立て馬に載せて運んだそう。

成瀬家発祥の足助は各地街道へ繋がる要衝の地だったのですが「塩の町」でもあったのでした。

 

①②画像は足助城から。