好きな言葉 暇と書いて「いとま」 日本海に沈む

やっぱり間(ま)というかある程度の余裕というものは何事も必要ですね。

「間と閑」とはお友達のような文字ですが閑職坊主の私としては「閑」の「のどか」読みの醸し出す雰囲気は捨てがたいものがあります。

泥舟の「閑有趣」の通りです。特にそれら雰囲気をまた表す「暇」なる文字、イイですね。

ところが最近ときたら何れのことにおいても「尺と枠」に収まるようガチガチに括られてしまいますね。

 

要は「忙忙」としている私ども人間の「はからい」について「日没無常偈」にて大いにご指摘を受けているにも関わらず、時としてその「尺と枠」の存在に振り回されているのでした。

 

昨日ブログでは都会の斎場を絶賛したワケでしたが、一夜明けて奥方にかなりの嫌味を言われることとなりました。

「法名札二つどないしたんや」(関西弁)との質問にハッとさせられました。

通常は葬儀式が手配されると葬祭場から時間割段取りを記した書面と法名札(位牌状の木札)が届けられることになっていますが

遠方葬儀場の場合その書面は時としてメールもありますが、大抵がFAX。

尚メールが一番に有難い。それは記録がずっと残ることとFAXは印字用インクテープの消耗と紙詰まりがやっかいです。

 

そして遠方の場合はその法名札が届けられませんので、「お寺でご用意を」と付け加えられます。

今回もそうでしたのであらかじめそのような時用に在庫してあるものを持参するわけですが、葬場到着後「はいどうぞ」という具合に通夜前あたりにそれを渡される(返却)というのがスジですね。ところが今回は忘れ去られていたよう。

私もそれについてまったく頭から飛んでいました。

よってそれを奥方から指摘されたときはよわりましたね。

奥方は「清水に電話して送ってもらう」と息巻いていましたのでそれは何とかなだめてヨシにしてもらいました。

事を荒立てたくありませんからね。

 

以前から葬儀式の東京・横浜ルールの葬祭場主導のタイムキーピングについて記していますが、私はただ「郷に入れば郷に従え」で言われた通りに式を修めるだけです。

通夜は制限はありませんでしたが葬儀に与えられた時間は55分でした。要は「お花入れの儀式」(最近はどちらでも)とやらがあって出棺とあわせての35分をかけるようでした。

 

葬儀式1時間30分と言っても私の持ち分は55分。

それも初七日法要込み。勿論御文と法話は絶対欠落できませんので悩みます。

よって滅多に着けない腕時計を机の上に置いての法要開式。

当初は「こりゃイケる」の余裕でしたが、途中の弔辞と送る言葉タイムでその思惑は吹っ飛びました。

縁者孫、ひ孫のほか故人の関係者のことばが約15分ありました。

よってその後の早回しと、経典のアドリブ差し替えがあったことは申し訳なかったのですが致し方なしでした。

 

慣れない場所での葬儀は「まぁ色々ある」です。

枠尺に入れられたくないとは言ってもその中で右往左往、忙忙と生かされている私にまた気づかされました。

 

画像は金沢の日没。

その日は意外でしたが無風で穏やかな日本海にお迎えされましたね。

こういう「ぼんやり」「のどか」、闇に向かう前のトワイライトゾーンは癒されます。日没を待つ「間」です。

勿論心は一つ、六字の名。