不審と記していぶかし 利休不審菴ふしんあん

昨日はお騒がせしました。

境内墓地の色々、勉強させていただく良い機会でしたが、おかげさまで先方様双方手打ちとなって一件落着。

昨日朝、墓地にはみ出たとの苦情を取り消して「再改葬の要求はしない」と連絡があったという知らせが建碑施主より入りました。お寺からの説明を承諾していただいたということでとても有り難いこだと喜びました。

総代はじめ良きアドバイスをいただき、今後はこのような事案に発展しないよう隣接墓地と境界のケアを十分に行う事を確認しました。

 

さて、相変わらず週間天気の一週間後に晴れ間無し。

くさくさするような湿潤空間の連続に呆れ果てていますが昨日早朝の豪雨には驚きました。

牧之原市に大雨洪水注意報が出たくらいですからね。

まぁ先日の雨漏り箇所対応の成果が確認できるということで、しばらくたってからその屋根の下で天井を凝視しましたがまさに対応箇所はビンゴだったよう。雨漏りはありませんでした。

 

その豪雨後、一転して青空と太陽が注いで物置の整理を始めました。その日で軽トラ4杯目の処分。

1人の人間が生きる、生かされるに際しどうしてこんなにゴミが出るのか・・・溜息が出ます。

私や妹の子供たちの幼少時の衣類含め、かわいらしい色々が溢れ出てきて、「使おうと思えばまだまだ」の捨てるには勿体ないものばかり。

中古品サイトにでもアップすれば絶対に値が付くようなものばかりですが、面倒な事はヤメ。

せっせと地頭方処理場に運び「衣類リサイクル容器」に放り込んできました。

 

先日はたまたま墓参りに来られた舞踊の先生に、大量に出てきた着物の生地を引き取って頂きましたが、それらもすべて軽トラの荷台に積み込んでまさに処理場行き寸前でしたのでまさにグッドタイミングでした。それでも行先が決まった物が一部でもあって大分気が安らぎました。

境内イベントで棚店でも出せばそれなりの賑やかを演出できそうですが、何せ保管管理に気を使わなくてはなりませんので。

これまで「勿体ない」で捨てきれなかったものたちに別れを告げました。まだまだありますが・・・。

 

さて百々橋遺構のスグ前あたりにあるのが千利休縁の不審菴(場所はこちら)。

元は大徳寺の門前にあった草庵の名称ですが、現在はその名をもって茶道の「表千家」を表します。

不審」というと今風の違う意味(大抵人に対する・・・)にとられがちになりますが、「不審花開今日春」(いぶかし はなひらく  こんにちのはる)なる禅宗の言葉からとられたとあるよう人間世界を超えた自然の不思議についての感動を表しています。

 

その二字で「いぶかし」と読むところも面白いですね。

その語もどちらかといえば「胡散臭い人間」の方を連想してしまいますがこの禅語は「人智を超えている感動」なのでした。

 

ちなみにその「今日春」から直接取ったものでは無いようですが「今日庵」が裏千家。スグ近くにあります。

「それは明日ではダメ、今なんです」という意ととれば人の生き方としてナイスな感じ。

自然界の今日、明日についてはまったくわかりません。

梅雨明け1週間後もまったくわからない。

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コメント: 2
  • #1

    がつお (木曜日, 18 7月 2019 10:12)

    古文書をよんでいると「難有」とかかれているのを見かけます。
    当方素人なので初めはなにか問題があるのかと思いきや「ありがたい」と読むのだとか。
    大抵その後に「頂戴仕」と続くので意味がわかると「あ~」となりますが、昔の表現には感嘆させられることがありますね。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 18 7月 2019 21:52)

    ありがとうございます。
    その語「あることがむずかしい」→千載一遇の機縁ですが、
    いつ見てもいつ聞いても素晴らしい語だと思います。
    現代人はもっともっとその語を使う頻度をあげなくてはなりませんね。
    昔の人たちのものを表現するその深さをもまた感じさせられます。