こんにゃくのさしみもすこし梅の花 墓地侵奪

「聞く」「人の話に耳を傾ける」ことの大切さは坊さんとしてだけでなく人としても必須の課題です。その件常々ブログでも記していますが・・・

他人さんを誹謗中傷するなどの談も耳にすることがありますがそんな時は笑って「まぁまぁ・・・」などと怒りを抑えていただくよう勧める余裕の私がいたりします。

 

しかし滅多にないことではありますが、私自身への御注進と事の対処について問われた場合「まぁまぁ・・・」などと笑っていられない私があります。

他者から見れば例の「修業が足りない」という一言が出るところでしょう。

かつては隣家より寺の土地建物がはみ出しているという指摘に役場に駆け込んで資料を集めて反論したことがありましたが今度は檀家さんからの一件です。

まぁその修行多寡についてはともかくとして先日私が頂戴したその主張に関して、ついついあまりに腹が立って「よろしかったらお引き取りくださって結構・・・」などと言い放ってしまったのでした。

要はお墓を引き払い「離檀してかまわない」ということですね。コレは私の最後通牒的無慈悲無碍とも思える言葉ですが、それが解法であるとの判断でした。

因果応報、そのタネを蒔いたのは先方様ですから。

 

父親に似ている自身を思い「血は争えない」などとあとから苦笑い。

当然に私の性格的なものがありますが、一線を越えたと思われる弁に聞くに堪えられなくなると語気も強くキレがちになってしまいます。自己分析すれば特にそういった場合、異常なほどに強い口調でまくしたてがちになりますので井戸端でならした風の皆さんではドン引きになるでしょうね。良くないこととわかっていながらもその線を超えると制御不能になってしまいます。

 

そもそもアカの他人様ではなく長いお付き合いをしていただいている檀家さんですから当初は控えていましたが・・・。

我ながら「しょうもないこと」とは思いますがそれをため込んでいったらストレスにもなりますし煩雑な仕事も増えるということで適宜「バルブの解放」を生理的に行うといったところでしょうね。

何事もコントロールも必要なのですが、やはりこの件、要は「虫の居所」だったのかも知れません。相手様もさぞかし腹が立ったでしょうね。

 

その会話は「売り言葉に買い言葉」であるのでしょうが、「寅さん」で言ったら「それを言ったらおしめぇよ」の語に強圧的を感じて私の言葉は一線を越えてしまいました。

 

その方の主張は「境内墓地境界線」のクレームでした。

先般新しく改められた墓石のお隣さんであるその方からその墓地が「はみ出している」とのご主張です。

拙寺ではかつてその手の事案はありませんでしたが全国的によく聞く話ではありますね。

 

私は墓石建碑に関しては施主と石屋さんの双方におまかせしていて口を出すとすれば墓碑の文字の件程度。

よって出来上がりの状況について関知していませんが、「はみ出している」(領地を侵している)ということと管理義務を全うしていないという御指摘ですので、「それが事実なら私の責任」と申しあげ「何か代替案を思考」したい旨即座に提案しました。

完成仕上がってしまった墓石ですからね。

完成する数週間前から工事が始まっていましたので当初に指摘が上がらなかったことも不可解でしたが。

 

「事実なら」の言はその石屋さんもプロフェッショナルですのでその手のミスはやらかさないだろうとの判断です。

やはりその後、施工した石屋さんに問い合わせたところ「境界線センターを意識してギリギリの大きさに仕上げた」とのこと。これまではその1/4くらいの小さな石塔が立っていて墓地敷地に空間があったため今度の「ギリギリ」によって境界を圧迫されているように感じるのだろうとのことでした。

ただしもう一方の側の境界は確かにそちらより幅がありました。

 

その方の主張を法律的に記せば

①不動産侵奪

②契約書の不備による職務怠慢

そして感情論としては

③さんざん寺を面倒見て来たのに酷い仕打ち

でしょうか。

 

ということでその件、寺院境内の墓地建碑についての権利関係について「不動産、財産や所有権に非ず」ということ、あくまでも「貸与」という形態であることを説明しました。

そこは一般社会には受け入れがたいところがあるかも知れません。依然世間様の認識は薄いようです。

またその墓地に関しては旧形体の墓域で明確な敷地面積の取り決めや交付書面はない場所です。

 

約200年も前の墓碑で当然ながらその書付などもありません。

当時そのような慣例はなかったでしょうしその辺りはかなり適当でいい加減な部分で現在のように「キッチリ」させるということに主眼がなかった時代です。

尚、その「適当」も「いい加減」も「良き方」に解釈していただくものです。

 

よってその主張の「根拠はない」のであって政治屋さん風の物言いをすれば「ご理解いただく」ですね。

しかしながら、その際は石屋さんの主張を聞く以前のことでしたから、何か代替案を・・・と口走ったのではありますが、その方の主張はあくまでも「一旦壊して現状回復して欲しい」の一本やりでした。

それを聞いて私の態度は一変しあの放言をしたのでした。

 

その新しい墓碑を壊して更地に戻しまた作りなおすということの経費の問題もありますが、その建碑に大いに喜んでいた多くの関係者の顔が思い浮かんできて、「それはできない」と反論したのでした。「無駄なことを・・・」のため息です。

 

新造墓碑の施主、石屋さんに関しては責任はナシ、それを許諾した寺の私に責任がありますが、その「壊せ!」の談はまさに横暴を極めるを感じてしまいつい余計な事(離檀OK、OK)を口走っていました。

「その言はお寺に喧嘩を売っているのと同様。それならばいつでもお引き取りください」です。

あのトランプの有様にも似てなんともお粗末なことではありました。老いぼれた感で我ながら滑稽。

 

しかしどうしても私の判定に納得いただけないようでした。 

この件、世話人会にかけてその判断を委ねることも考えていましたが(ご当人と石屋さんと私のそれぞれの主張を聞いていただいて世話人と総代でとるべき道を決めてもらうのが一番と・・・)

昨夕になってその話を聞いた新墓石施主側から石屋さんに「場所を改める方向を検討している」旨連絡があったとのこと。

 

しかしながらそれに関しては私がNGを。

それは新しい墓地に取り壊したお墓を建て直すことになりますからいわゆる「おカネでの解決」です。

かといって心に痛みとわだかまりは残りますね。

それがすべてを丸く収めるということになるわけでもなく。

 

またそれを私が見過ごしていたら管理者たる住職の存在意義がなくなります。

一檀信徒があたかも墓地管理者の如くに振る舞ってありもしない権利に基づいてお隣の墓地をどうこう差配する件、放置は有り得ませんね。

次の横暴に繋がりかねませんしその風潮を境内に持ち込まれるのはカンベンしていただきたいもの。

 

ということで今回は先回りして総代にこの事案についてご報告を。現場の確認をしていただき詳細の説明をしました。

「世話人会などかけずに穏便にやりましょう」とのアドバイスでした。離檀の背中を押すなど「檀家さん1件減っちゃうのでダメでしょ・・・」の言葉も。

それはそうですが私の方は「これもまたご縁ということで・・・!」でした。

「ややこしいこと、面倒は御免」は私のモットーですが何より「私の墓場を引っ掻き回すな」ですね。

ご先祖様が何より笑ってらぁ・・・

 

総代からの提案は「再度説明」しそれでもわからなかったら今一度考えましょうと。さすがオトナです。暴走しそうな私を抑えてくれています。

 

いつまでたってもガキで「豆腐の角に頭をぶつけて・・・」レベルのつまらない事を記しましたが人間の心の在り方としては豆腐よりもコンニャクでしょう(唐突・・・)。

のらりくらりブリブリグニャグニャしていながら腰があって食感はヨシ。食べてもノンカロリー。当たり障りナシ。

栄養として「得るものも無し」ではありますが、味付けと調理のバリエーションは豊富です。

 

芭蕉はその蒟蒻を好んで食べたといいます。伊賀の名物なのでしょうか。

時に親しかった故人への供物として出しその後食したと。

やはり蒟蒻でお馴染みの永源寺境内に表記芭蕉の碑がありました。

元の句には(なきひと)「去来子へ遣す」の詞が添えられているようです。

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コメント: 4
  • #1

    小山昭治 (水曜日, 17 7月 2019 09:12)

    おやおや 大変でした。過去形ではなくまだ現在形ですかね。
    人生長い間には色々あります。なんて 私も現在形ですが。
    これからはお墓に関して工事、修理等の話があれば、まず現状を写真でも撮影すれば
    どうでしょう。あるいは 現状を全て撮影しておく。
    問題が起これば第三者(総代)を入れる。住職といえど管理者。お気楽に。

  • #2

    がつお (水曜日, 17 7月 2019 10:34)

    昔はお寺は地域のもので檀家にもつながりがあったので「適当」でも問題がおきなかったんでしょうか。(例えばお墓を建て直すにも一言かけるなど)
    それと、他人様のお墓廻りをしていると昔のお墓は柵をしているものが少ないように感じるので、そういう意味でも良き時代だったのかもしれません。
    利用する側の言い分とすれば、永代使用料を払って敷地を利用する権利を得ているのだから、敷地を使用させる側がその範囲を明確にする義務がある(=お寺の管理責任)ということでしょうか。
    そもそも、墓地の広告などでも「お墓の購入」などとうたっていたりするので勘違いすることも多々あるのではないでしょうか。
    我が家のお寺は使用できるスペースが墓石分しかない(お墓が並んで建っている)ので隣ともめるなんてことは無いだろうとは思いますが、ぶっちゃけ私もそこまで墓参りをしていないので隣が何かしても承知できないという事情がありますね。(反省)

  • #3

    今井一光 (水曜日, 17 7月 2019 19:42)

    小山さん ありがとうございます。
    総代さんが積極的に動いてくださり、万事解決と思われます。
    次回は今回の例を念頭に入れ、あとあと皆さんが気持ちよく墓参りできるよう
    各配慮をしていきたいと思います。

  • #4

    今井一光 (水曜日, 17 7月 2019 19:54)

    がつおさん ありがとうございます。
    「のんびりとした時間が流れている」を感じるような昔の日本人の姿は
    どこかへ行ってしまったのでしょうかね。
    古めかしい旧態依然の慣例重視の私たちの世界からするともはやついていけない
    日本人の姿に日々驚きおののいています。
    やはりお墓の所有と墓地の「墓地を建てる権利」の違いについてなかなか
    世間様に伝わっていませんね。
    「墓地を買う」の意味が微妙に違うというところです。
    次回はこれらの件を頭に入れて対応したいと思います。