姓は野村 珂碩開山堂・仁王門・鐘楼 九品仏浄真寺 

例年とは違ってこの梅雨は天気が読めませんね。

昨日は午後からの雨予報でしたがなぜか遠州南部は晴天。

午前中に軽トラで濡らすことができない部材を空の急変をビクビクしながら、それも慌てて購入に出かけていましたが、結局日中はポツリとも来ないという幸運を得ました。

その後は夜間に激しい雨となりましたが、その日の数回の地震の方にも驚きました。すべてテレビでの速報で知りました。

 

朝の1発目、横浜にいる息子は「ちょっとビビった」という震度4。午後7時すぎの2回目は伊豆東方、熱海で震度4。夜10時の3回目は熱海で震度2という具合。

 

場所は千葉県沖から相模湾ということらしいですが、実はこちら相良に居てその地震についてまったく揺れを感じることはありませんでしたので「そんなものなのか?」というところ。

 

私は奥方に「伊豆半島のおかげ」とワケのわからない事を口走っていましたが、震度1、2程度でしたら隙間だらけで古くて傾いて揺らいでいる家の中でフラフラと動いていれば地面の少々の揺れは吸収されてしまうのでしょうね。

とにかくこの近く(駿河湾)で起こったとすれば今度こそ家の下敷きになるような気がします。

 

 

昨日ブログでは「はたらけど  はたらけど~」などと記しましたが昨日のニュースでは父親の死を隠していた「はたらかない息子」の件がありましたね。

その人の理由は「将来の事を考えると・・・」とのことでした。

やはり親の年金だけが一縷の望みだったということでしょうが、そもそもそういった法の逸脱は何らかの精神的障害の有無を感じるグレーラインにいるのでは、などと思ってしまいます。

そもそも葬儀を出すことなどはかなり厄介で重荷になる作業ですから。

 

葬儀の差配と準備ほど煩雑な時間は他にそうはないでしょうし何しろ「それなりの出費」は覚悟しなくてはなりません。

よって「将来のこと」どころか「今」のことも覚束ない状況なのです。

「8050」問題は結果的に多様な法の逸脱に繋がってしまうことを考えていかなくてはなりませんね。

今や死語になりましたが「村八分」の通り、昔から火事と葬儀だけはどんなに普段は関係を断っていようが協力して事に当たるというのが日本社会だったのですが・・・。

 

さて、九品仏浄真寺のお浚い。

何度かあの圧倒的な九体の阿弥陀如来で名のある浄真寺について記してきましたがそちらの境内地でも初っ端にある開山堂、仁王門、鐘楼をさらっと。

その開山堂こそこちらのお寺をあの阿弥陀仏をもってスタートさせた僧の珂碩(かせき)がやはり自身で彫り上げたという像があるお堂です。

彼は僧籍に入る前は「野村」姓を名のっていたとのことですが、俗にある時に「何かやらかした」という伝承が残っていてその名を含めて、経緯も親しみを感じます。

 

また特にこちらのお寺での代名詞の如くの行事が知られていますがそれが「お面かぶり」。

正式には「二十五菩薩来迎会」というものですが、その「二十五菩薩」が仁王門(紫雲桜)桜上に阿弥陀さんと一緒にいる二十五菩薩ですね。

 

仁王門の脇には鐘楼があります。

こちらの掲示板はすべて日本語と英語の2か国語で紹介されていますが、この作業は結構に労力が入ることが想像できます。

仏教の特別な用語を英訳することは難しそうですからね。

ただしこの鐘楼の訳、「Bell  Tower」を見て何のことはない・・・とも思ったのでした。