2019年夏至 盂蘭盆会法要世話人会 憲法25条を聞く

統計によると日本人の死因のベスト3に若干の入れ替えがあったそう。1位は癌、2位が心疾患というのは動かないところですが3位に進出してきた死因が「老衰」だといいます。

 

「へ~え」です。

私も葬儀の際に耳にするそれに確かに多いことからして合点がいきますが、それが人の死というものの原因・理由であるというところ同調するに至るまで少しばかりタイムラグがありました。

老衰・老死の感覚は病因というか、寿命であってオモチャでいえば電池ギレ。肉体を十分に使い切って一杯一杯まで消耗、その末に全機能がストップするのですからまさに自然現象です。

それを死因というのはどうかな・・・という気持ちがありました。

まぁ無常世界に生きる私どもが体現する四苦のうちの「老病死」でありますし病死も老死も死と言う意味では同じで因果の因として考えれば一応「正論」かも知れません。

 

しかしながらそれが健康寿命を全うして寿命を得るということならば「幸福」の一言ですよね。

 

とにかく健康維持ができたうえの寿命が伸びた自然死ということでしたら目出度いといえばそうですね。

ということで純然たる電池ギレの老衰にる死は・・・幸福死です。

癌、心疾患を逆転しその幸福なる死を迎える人たちが増えればまさに御の字、福祉社会として胸が張れることになるのでしょう。

 

ところが昨日開催された世話人会が終了し私が会の中で投げかけた「8050」問題の寺としての考え方について、総代ほか婦人部の一部のみなさんたちが居残り「お浚いの会」の雑談が始まりました。

午後三時からの世話人会でしたが、本会終了後も夏至ということで日も長く、ゆっくりと流れるような時間の中にあってのんびりとその話に聞き入りました。

ただしどれもこれも耳を疑うような話ばかり。

ショッキングな現実を知らされたというところです。

「幸福死」など望めそうもないような件。

 

私の提起は「現実の問題」に対してとにかく知らねばということもありますし、まずは「聞くこと」からはじめて見守りのスタンスから地域全体で「みなさんの問題はわたしの問題」としていっしょに考えていく・・・ということでした。

 

「8050」の当事者からすれば「聞くだけ」「はなすだけ」で何ら進展がないことが焦燥感となって結局追い込まれている姿があるのですが、私の考えとしてはつまるところ「貧しい経済状況」がその根底にあって、とにかく方法があるならば少なくともその極度の困窮から逃れるシステムを活用することが先決であると説明させていただきました(昨日ブログ)。

 

生活保護であり障害者年金であり、年金納入免除の申請等です。

大抵はそれらの権利について活用していないというのが実情の様。その理由としては①そもそもその利用について知らない②プライドがあって踏み込めないのどちらかです。

私もその辺りの件まったく無理解で、それらシステムを熟知した人を呼んで勉強会をしなくてはならないと感じたのでした。

②の場合もみなさんでそれを進めていくよう動いて知恵のようなものが発せられないか投げかけさせていただきました。

家庭内だけで背負いこまず集まって寄合を持とうというものです。

 

大風呂敷ばかり広げてすべてが遅々として進まない現状に恥じ入るばかりですが、何もしないのであるならば「寺の機能不全」を揶揄されても致し方ありません。

 

牧之原市にあって「自殺者が比較的多い」とその場で聞かされましたが、それは「絶望」を感ずる人が多いということです。

他者の絶望の前にその人の希望の一つや二つ、限界はありますが、聞く機会をもって少しでも手を差し伸べられないか考えたいと思ったのです。

貧困が絶望をもたらし、また思わぬ身近なところにその絶望は転がっていることがわかりました。

 

昨日聞かされた件その人は独り暮らしの50代の女性で、現在の月収は2万~4万円とのこと。ましてまっとうな教育というものを受けさせてもらえなかったようです。

その人が賃貸アパートの家賃を滞納するようになってから拙寺世話人さんがこれまでの2万円代の家賃から1万円代の部屋を手配するよう動いたといいます。

 

当然ながら社会保険・健康保険の納付は怠っているので、厳しい悲惨というべき状況は病気の際に診療が受けられないということ。

特に歯科医の受診などは一切受けないようで、次々に歯が無くなっていく様子がわかるそう。

これは虫歯の傷みに耐えきれず自らの手で歯を抜くという荒行に及んでいるからだといいます。

この時代に不要な忍耐ですね。

 

私は時に歯医者にて検診してもらいます。ましてや痛みを感じればスグにでも飛び込みます。

ところが当たり前と思っていたその習慣は実は彼女からすれば「このうえない贅沢」だったのでした。

きっとこういう件はやはり「些末な」一国民の一事案にすぎないと断ずるのがお金持ちの政府のセンセー方なのでしょうね。

 

親の年金のみにしか収入をアテにできない'(大きな)子供は「親の死を隠し続けたい」とこっそり親にだけ漏らしていたと聞きました

きっと葬儀式もありえないでしょうし、私もむしろ知らない事にしたいくらいです。

武田信玄も三好長慶もその死について隠しました。

現代のそれはまったく別の意味です。

年金搾取の罪は問われますがどちらにしろ破綻しかないのですからね。

それについては私は黙りこくりたい。

 

まずはまずは「図々しくがむしゃらに生きる」主張を7していただきたいと思います。

「申請して年金を・・・」

 

上記アパート転居に尽力した方が憲法の条文をあげていました・・・

 

第二十五条

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」

 

たくさんの仏花がお供えされています。胡蝶蘭が見事。

新鮮なうちにと1枚2枚パシリ。

香炉は拙寺オリジナル、お許しを。