徒歩中の論争 小島蕉園の墓の上の如意輪観音

梅雨の中休みです。

前週末は台風を思わすような低気圧の通過によって土砂降りと暴風を早くも体感。

それでも何とかうまい具合に法要を済ますことができて安堵しています。

 

土曜の朝など境内の植木鉢の殆どが倒れていて、それを起こしつつ風の当たらない場所への避難作業にはくさくささせられました。「台風」といえば事前に軽トラの荷台に入れてコンパネで囲っていますが、今回は甘く見ていましたね。

そこへ来て昨日の晴れ間にはほっと一息の感。

大分日差しが強くなりましたね。午後から運動不足の解消をとお不動さんの小島蕉園の墓へ。

このコースは往復約9000歩といったところ。

 

手入れが後手後手に回りがちのその墓周辺がどうなっているのか確認したいという意味もありました。

すると案の定。折角の看板が隠れていました。

「仕方ないか~」とため息をつきながら、奥方に向って「いっそのこと勝手に伐採しちゃおう・・・」とうかがうと、「それはマズいだろ」の忠告。

教育委員会に「切って」と依頼したとしても動きは鈍いと判断。職種が違いますからね。

そもそも「わかっているなら自分で切れ」と内心思われるかも知れません。そう思ってしまうのが私の経験的なもので、いわゆる「正論ではないが、まぁうまいことやってくれ」理論。

 

とにかく越権行為は禁物、史蹟研究会に持ち帰ってボランティアを募集するなど段取りを踏んでから、あるいは地元の皆さん有志による活動まで待つなどの提案が奥方からされました。

 

私に言わせればゴチャゴチャ言ってないで、ゲリラ的にパッと切ってササっと帰れば「誰もわかりゃしないだろ」と反論。 まぁ看板付近だけならそれをキレイにするに30分もかからないような仕事です。

 

よって下見として軽トラでの進入路を再確認しながら大江側に降りてきました。

海側に軽トラを置くより上側の境内地に廻っての作業が断然効率的。私が切って奥方が片づけるという算段です。

独りではつまらないのでつき合ってもらいます。

 

あとは奥方の機嫌をうかがいながら晴れの日に山へ上がるだけ。まぁ自己満足以外の何物でもありませんが、そもそも墓参りの掃除はそういうものでしょう。

拙寺には恩義のある方ですし何より牧之原市の観光資源になりうる旧跡ですからね。

 

②が看板前から海。③がその逆。

この堂の前に車を廻すことができます。

そちらには小さな覆堂があって石像の如意輪観音がその存在をアピールしていました。

 

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コメント: 2
  • #1

    がつお (火曜日, 18 6月 2019 09:39)

    役所の行動が遅い一因として公平公正が求められると言うことがあります。
    税金を使うのだから適切にということで人命にかかわるとかない場合はスピードが犠牲になるということです。
    また、このような文化財の予算がもともと少ない場合が多く、予算の執行が文化財本体に重きを置かれるので役所が建てた案内看板の保持まで手が回らないというのも一因ですね。
    それと、看板の設置場所が市の所有地でない場合、そこにある物に手をつける場合はたとえ雑草といえども土地所有者の了解を得なければいけないという問題もあります。(看板に影響を及ぼしている場合の草刈りなどの承諾は設置時に得ていると思いますが)
    この看板が誰の土地に建っているかわかりませんが、周辺の草や枝を刈るのであればその草や木の生えている土地の所有者の了解が得られれば市には無関係で刈れると思うので、奥様が問題を起こさないように心配をされているということであれば土地所有者に了解を取ればよいのではないかと思いますがいかがでしょうか。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 18 6月 2019 21:19)

    ありがとうございます。
    ご指摘の通り、ショートカットせずに段取りを踏むことは肝要ですね。
    次回の会合の際、そのあたりの件投げかけてみます。
    トラブルメーカーになりかねないところでした。