家族は 殺人に手を染めかねない犯罪予備軍である

表記は昨日の天声人語から。

あまりにもショッキングな論ですが実は最近の統計によれば日本の殺人事件の5割は親子間、夫婦間など親族のなかで起きているとのこと。

なるほどといえばなるほど。

そういえば・・・と思うところ多々。

親族の集合する「家庭」(「ホーム」)なる場は人がまず一番に和みと安らぎを得られる「居場所」であるはずなのですがなぜかそちらが犯罪のベースになっているということでこの件驚くべきことでもあります。

 

まぁ一言でいえば「家庭」というものが「帰すべき場でなくそこに安らぎがない」ということなのでしょうが、何故にして本来の私たちが癒される場である「家庭」とは真逆な瞋恚状況を創出してしまうのか。

 

私はこの「論」を耳にして人間というものが如何に弱さを抱えている動物かを垣間見た思いがしたのです。

野生動物世界では子の巣立ち・親離れの流れは成長とともに顕著に表れて、ある時を隔てで即アカの他人になりますからね。

まぁコロニー的集団生活はあっても人間世界にいう「家庭」など野生世界にはそうは無さそうです。そしてその集団の中にあったとしても「開けっぴろげ」ですね。

 

その家庭・家族というものは血縁関係を元とした人の最小グループ単位の生活基盤と心得ますが人の活動の場である外部世界(狩猟等、食を得る場)から「帰る場所」であって一時の安息を得るべき「巣」なのですね。

また「親族」は他人とは違う個(私)の良き理解者のはずであるわけです。

 

ところがその統計からのテーマ(殺人事件は家庭内で起こる)に感じるところは最近の家庭観はそういった昔ながらの家族のよきイメージというものを超えてしまっているよう。

その集合体内相互で相当な齟齬をきたしているような気がします。

夫婦間・親子間のすれ違いが提起されているのでしょうが、その個々の問題は外部には知られないことばかりで、要は誰も知らないことですからね。悩みとして抱え込み他者に相談しにくい部分でもあります。

 

その統計からはまた制御不能の末期的家庭が増えているということとが受け取れます。

その構成員が齢を重ねまたは経済基盤が脆弱になってのそれもありますが、その集合体の崩壊はやはり人間家族内における「巣立ち」の不能と安らぎの場の喪失でしょうね。

 

子の独立がないということは「甘え」そのものであり、その「甘え」を容認する親もあってその「甘え」はますます増長するわけです。そしてその「家」は自ずからすでに安らぎなど求める場にはなくなっているということかも知れません。

甘えをゆるし続けられる環境やその許容には限界があるのですが、その甘えは増幅によってその限りを許しません。

よってどこかで暴発するというのが私が想った最近のいろいろです。

 

しかしながら私も数々の「甘え」でもって生かされてきました。それでも少なからず私は感謝と慙愧を教わりました。

まぁ私は子たちにはそれをまた伝える努力はしていますが、どう応えるかは息子次第。

法律上20歳を過ぎたら親の責任なしです。

「獅子の子落とし」ではありませんが、そこで社会に放り出してあとは「勝手にやってくれ」くらいがちょうどいいのではないですかね(極論ですがそのあとの親の責任などあるわけもなく)。

 

それができないと・・・甘い汁のスパイラルは永遠に続くのです。

ただ、しかしそれ(崖)ができないがゆえの人の情緒なのですが。

「情緒と野生」の内なるせめぎあい、人の心は一筋縄ではいきませんね。

 

このような社会になってしまったのはやはり末法世界を思います。ここに今一度仏法を聞く耳を・・・ですね。

とにかく手近の寺の門を叩いて個々の悩みを提起してみては如何。

2件3件とはいわず色々な意見を聞くべきですね。

寺の坊さんには守秘義務がありますし住処から遠く離れたお寺ならもっとお気軽でしょう。

逆に坊さんたちの度量というものを見てやるくらいの気持ちがイイかも。

 

昨日は母を引っ張り出して鳥の声を聞き、伯母を夕食に連れ出しました。

そして叔母宅に向かう前に御前崎病院へ。

先般焼津の救急病院から転院してきた檀家さんがいらっしゃるということでそのご機嫌伺いでした。

 

私の顔が思い出せないということで少々のショック。

やはり檀家さん、今は亡き善知識「永田裕子」さんを思い出してしまいました。

ああいう場に入ると頭の中はスグにリセットされてしまいますから。

すべてにおいて他に頼る生活はできるだけ避けたいところ。

治癒して早い社会復帰を願うばかりです。

 

奥方に「病院というものはいつ来ても不機嫌なものだ」と話は一致。

見舞いとはいいながらもああいう場所はロクなことがないところというのが私の感覚です(従事者には申し訳ありません・・・)。

 

私には家が一番イイ。それは当たり前のことなのですがね。

また母・叔母二人の終末を見送ればスグに「私の臨終」であるとしみじみ語っていました。

4月に家を出た息子がそれとあとを仕切るはずです。

そうであったとしたら雀の如く小躍りして喜ぶところですね。

 

画像は昨夕の150号線浜岡の日没の様子。南無阿弥陀仏。

台地から見られたらよかったのですが・・・

助手席の奥方が撮りました。

②画像は静岡の高齢化率が過去最高と伝えるニュース。