ここにもあります 嫁おどしの面 吉崎寺はお西

「ひきこもり」と言ってもいろいろあるよう。

自室に閉じこもりっきりの人もいれば、自己の趣味のみに生き

時にその関連品の購入などの為に外出する人などですがまずは社会と完全断絶して閉じこもっている人は少ないよう。

ということで、「外出がある」人に対してその「ひきこもり」の語を断定使用されることは当人にとってすれば「違うだろ」の反発の気持ちも起こるでしょうね。

 

よく考えるとまたその語、実際にひきこもっている人からすればカチンとくる言葉でしょう。私だったら頭にきますね。

ということで、ひょっとすると「それって差別用語・・・」とも思った次第。

社会に理解度が深まっていけば早いうちに「使用禁止」になる言葉かも知れないとも。

ここのところ私はその語を使いまくっていますから、少々反省気味です。

 

みなさん「人との関わり合いを遮断したことは悩んだ挙句」のことでしょうし、今も何らかの負い目は持っているはずです。

そこからの「脱却スイッチ」が入るタイミングがいつかは来ると期待している人もいるかも知れません。

そこのところ、一人の突飛な事をしでかした人からの連想で社会との接触ができない人を含めて「ひきこもり」と断じ、その件「一種独特の病状」風に決めつける傾向というのはイケないことでした。

特に近未来の日本の様相を想像すれば、今よりもっともっとその傾向は強まっていき、その語は禁句になるかもしれませんね。

 

また「自室」について。

考えるに「とじこもれる隠れ家」のことでもありますね。

昔の子供たちに「自室」ってあったっけ・・・というところ。

以前と言えば全て家族内開けっ広げで、家族中に逃げる場所などどこにも有り得ませんでした。

そんな居心地最良の場所を提供されれば特段出ていくこともナイと思うようになるのかも。現代ならではの家族関係がそれでした。

 

さて、吉崎御坊跡の丘の中腹にある願慶寺について何度か記しましたが、そちらでのインパクトあるウリは何といっても「嫁おどしの面」でした。

吉崎御坊は何と言っても真宗中興の祖ともいうべき蓮如さんにまつわる本願寺旧跡とあって江戸期に二分されたお東とお西のせめぎ合いがあった地もあったといいますが、やはりお西のお寺でも「われこそは真正」とばかりにそのお面をウリにしているお寺があります。

 

その名もズバリ「吉崎寺」。寺伝によれば・・・

蓮如上人がその本拠地を構えようと吉崎へ来たのが文明三年(1471)。この地方の名主だった「大家彦左衛門吉久」が蓮如さんに協力して土地を寄進して開墾、吉崎御坊を建てて蓮如さんのもと「慶聞坊」と得度してこの寺を構えたといいます。

 

鉄筋コンクリート製の本堂で一階が史料館。そちらに拝観料500円を払ってそのお面とご対面。

なんともおどろおどろしい代物です。

あのお面で夜間に藪から飛び出て来られたら震えあがりますね。

 

建屋の脇に大家彦左衛門の墓と梵鐘がありました。

梵鐘の文字にはその「大家」姓が代々続いていることがわかります。

 

お面の真偽はもはやどうでもイイこと。

誰でも皆、三悪の心を持ち合わせていて、反省の心が芽生えて育む力があって、そうあればもはや浄土世界であるということが知られればそれで「OK OK」(阿弥陀さんの印)。