我が身の悪き事 嫁おどし肉付面 吉崎願慶寺はお東

昨日は温室の撤去と境内墓地の除草剤散布。

舞鶴(ネコ)のお出かけを見計らっての作業でした。

境内で蚊に刺されながら4回、静波墓園で2回の散布でした(1回100ccを5ℓで希釈)。

最近はガラにもなく「お肌のケア」について考えるようになりましたのであの強い日差しは「良くはない」とは思うものの、ついつい生来のお日様好きの性分が出て気持ち良くお仕事に励みました。

よって多少の日焼け。

きっとまた「海で遊んだ?」と御指摘を受けそうです。

 

昨日に引き続き「ミサイル」車の件。

これも初めて知ったことですが最近の車(いつの「最近」かはわかりませんが)にはアクセルやブレーキの操作の形跡が残る装置が付いているといいます。

ということで、事故の直後、ドライバーが車から出てきて「ブレーキを踏んだのに止まらなかった」「アクセルが戻らなかった」などの言をよく聞かされるワケですが、要はそれが真実かどうかはスグに判明してしまうということ。

 

基本的にその事故の責についてそれは「自身にはなく車のメカにある」という主張なのでしょうが、その判定装置はその意思からは空しくも「真実」を語るようで、今や重要な証拠物件と。

たとえドサクサで「自己保身」の言い訳証言をしたとしても恥をかくだけなのでした。

 

昨日も記しましたがあの池袋の事故を惹起した方はやはりその主張をされていました。工業技術院なる施設にお勤めになっていたのですから、そういったメカにはお強いはず。

そういった判定装置が出回り出した頃にはすでにお辞めになっていたということでしょうか。

 

案の定その装置はその方が「ブレーキは踏んでいなかった」という件、しっかりと「立証」されているとのこと。

もはやぐうの音も出ないでしょう。

 

それにしても自動車メーカーはこれまた自社車両製品についてとやかく難癖をつけられないためにそのような装置を付けたということでしょうが、そのようなところに気を廻している時間があるのならアクセルとブレーキの踏み間違いについてその操作ミスが起こらないよう頭を使っていただきたいと思うところ。

 

さて、昨日ブログでは「蛇女」(大蛇済度)について記しましたが、あの地にはそれに似た伝承として「嫁おどし肉付面」のお話があります。

「邪悪な心」(昨日)の意地悪婆さんの嫁いじめのお話ですが、詳細は各お調べいただくとしてそのパターン(嫁イジメ)といえばもはや過去のこと。

今やそのようなこと(怖いお面を被って暗がりで脅かす)はただの戯れとしか感じませんし、その手のことをする本心を察せられたとしたら嫁はとっとと実家に帰りますね。

 

そのお話のポイントは嫁の心の清らかさ。

義母が自分に憎しみを抱いたという事実に、そこで立ち止まり自身にも悪い所があったと反省するところ。

そしてまた昔から人は齢を重ねるとバカげた無茶をやらかすものなのだと示唆しているようでもあります。

 

吉崎御坊の歴史は東西本願寺分裂以来その旧跡の取り合いというか、落としどころを求めたものだったとも聞きます。

まぁどちらに於いてもそうですが、東別院があれば西別院がありますよう、旧の「御坊」といわれるような旧跡は東であっても西であっても「本願寺」を名のる寺としては絶対に譲れないというのはもっともな事ではありますね。

勿論私どもは大谷派(お東)ですので「東」の方であるのは間違いないのですが。

 

昨日ブログ画像の最後が吉崎御坊の参拝道の図ですが、「嫁おどし伝説の寺 願慶寺」とあります。

そちらはお東のお寺ではありますが「御坊」と記されていました。

画像はそちら願慶寺の図。

拝観料500円を払ってご住職のお説教、お面のストーリーを聞きました。

まさに「節談説教」。

私は帰り際、御堂の前で入るかどうか思案中の団体に向って「むっちゃ面白かった」と言うと「お前サクラだろ」と言う声がかかってしまいました。

 

住職の系は昔は「県和田」(あがたわだ)を名のっていたそうですがいつしか「県」が取れて今はただの「和田です」と。

そういった苗字の変遷もあったのですね。

 

やはりコレ。

「人の悪き事はよくよく見ゆるなり

          我が身の悪き事は覚えざるものなり」

                          蓮如上人御一代記聞書