今川義元生誕五百年 胴と首が以来はじめて・・・

昨日は「ブラリ田沼」の第2回目の日曜日。

こちらは1年も前から予定が入っていますので、法事の予定は入れていません。

よって午後からの静岡でのイベントに向かおうと朝からその「田沼」の皆さんの来訪とその終了を待ちました。

 

私どもがやることはほとんどナシですが、敢えて言えば本堂の電気を点けておくくらい。

かといって境内でちょろちょろしているわけにもいかずいつ現れるかわからない「田沼」の皆さんをやり過ごすこと、そして早く静岡に向かいたい気持ちでいっぱいでした。

 

というのはそのイベントとは「今川義元公生誕五百年祭 ~今川復権まつり」(ブログ)の中、今川義元公大好き宣言&今川シンポジウム 小和田哲男先生の講演「とっておきの今川義元」で13時30分が開演時間でした。

 

「田沼」が退去されたあと12時すぎに家を出てギリギリ静岡市民文化会館の大ホールに駆け込みました。

その日に開演される理由とは「永禄三年五月十九日」に合わせているからです。

それが「桶狭間」・・・今川義元の命日ということになります。

 

午前中はその回忌法要が臨済寺でとり行われていたために午後からの講演となったのでした。

その法要は三河大聖寺との合同法要。

ポイントとしてはこれまで別々に行われていた法要を初めて一緒に行ったということですが、それは初めてその時以来「胴(大聖寺)と首(臨済寺)」が繋がったという快挙でした。

ただし臨済宗と浄土宗(大聖寺)ですが、まぁ「おまつり」みたいなものですからね。

 

先生も「この大ホールが満員」を目の当たりにして感動を覚えていたようですが、私は開演ギリギリでしたので殆ど最後列に近い場所。

それよりもなによりも気温上昇のせいなのか、隣の方の存在感溢れる体臭に加えてホール希薄化した酸素の環境に催眠効果バッチリ、折角の講演を「気絶」していました。

 

私にはああいった混雑の場での窮屈な体勢の維持はそもそも無理なのです。じっとしていられない習性。

人口密度の少ない空気のうまい(それこそが正常なこと)場所が一番、あの環境に慣れることはありませんね。

 

さあ、大雨の予報があります。運転は特に注意したいですね。