特集 生誕300年 再評価される田沼意次~「江戸楽」

あの変人センセーの暴言以来「戦争」の語が飛び交っていますが、やはり私が今その語のイメージとしてはかつて言われた「交通戦争」なる語です。

 

お国が勧める「公然人殺し」のそれはもはやかつての歴史として記憶の中に入れておき、適宜それを持ち出すときは「反省」の材にするのみ。

ちなみに人というものは過ちを犯す生き物ですから、如何なる人も時に立ち止まって振り返る(反省)ことが必要であるということです。

 

その「交通戦争」なる語が飛び交う時代に育った私ですが、やはり父親が初めて新車を導入した時を思い出します。

マニュアル車が当たり前だった時代にオートマチックの変速機の車が出現しだした頃です。

その普及車両の登場に応じるが如く父はその購入に踏み切ったのでした。

以後マニュアルトランスミッションの車には「絶対に乗らない」と言っていました。というかそれは「乗れない、操作できなくなった」ということですね。

 

これはどういうことかといえば一言で車の操作が「カンタンになった」ということです。要はゴーカートの如く「D」にシフトしてアクセルを踏み込めば今巷間いわれる「ミサイル」(ブレーキと間違えてアクセルを踏み込んだまま暴走する車両)の如く「すっ飛んで」いき人を殺傷します。

 

まっとうな感覚にいる人では信じられないようなことですが、それは「人間が過ちを犯す」ということの証明でもあります。

加齢のせいもありましょうが案外と幅広くその「まっとう」が一瞬のうちに反転したという事案は各年齢に及んでいますので、年寄から免許証を取り上げてそれのみを解決策とする風潮は問題がありますね。

 

今、色々なところで交通事故による理不尽な死傷事故のニュースが飛び込んでいます。

やはりその交通戦争の終結はしていないという感じ。

 

まったく過失なく歩道を歩いていて注意してもしきれない突然飛び込んでくる「ミサイル」などに対処できるはずもありません。

何が必要か・・・やはりまず、歩道と車道をしっかり区切る事でしょうか。

少なくとも車道に車が進入できないようポールなどの車止めなどの設置です。縁石はただの排水集水目的の「縁」で高速で走る重量物を押さえる役目など担えません。

それに対応するには国や自治体に資金需要が発生することになりますが、もはや自動車会社に肩代わりさせるというのがスジかも知れません。

スーパーカンタンゴーカートを売りまくって大儲けしているのですから、歩行者を護るインフラに少しくらいおカネを融通してもらってもいいでしょうよ。それが責任ある企業。売りっぱなしは社会へ歪をもたらしています。

 

そしてマニュアル車の種類をもっと増やしていただきたいですね。

当家でいえば先般購入した軽自動車に「マニュアル「」を指定する(そもそも選択車種僅少)と納車までかなりの時間を要しましたし、納入されたそれはシフト変換が酷くギクシャクしていて違和感満載。

メーカーはオートマ全盛につき、マニュアル車が造れなくなってしまったのかとも思えました。

 

私はマニュアル車でアクセルとブレーキを間違えて暴走した例を知りません。

よっていよいよ齢を重ねて必ず「過ちを犯す」ことがわかりますので、「スーパーカンタンゴーカート」などの採用はムリですね。

あれは「戦争」というか「自爆テロ」と同じ。

 

画像は月刊誌「江戸楽」(えどがく)5月号の表紙。

田沼意次特集の第一弾ですね。

最近露出頻度の高くなった拙寺本堂の軒下の画像がちょっぴり出ていました。

 

最後の画像は拙寺前を通過する地元保育園の園外歩行の様子。

あの手摺りルールは画期的です。

しかしあそこに「ミサイル」が飛んできたとしたら・・・そらおそろしい・・・。