先般文化財・史料等各お宝について「公開・非公開、写真撮影OK・NG」について文句たらたらを記したのでしたが、拙寺についてはどうか・・・と問われたら基本オール・オーライ。
「基本」の但し書きは私が不在の時、法要中は不可能ということですので、アポ有りでしたら100%OKということ。
隠し立てするものは一つもありません。
私も非公開・秘仏、撮影NGについては頻繁に出くわしますが、やはり残念でなりませんね。
大抵がそういったスタンスを取っているようですから、こちらとしてもまずダメだろうという気持ちで念のため「非公開ですよねぇ?」と聞きます。
そんな時「いいですよ~♬」などといわれる幸福感はありませんね。
拝観できる喜びもさることながら、そちらのご担当の寛大な気持ちに同様に感動してしまいます。
時にピシッと「観光寺に非ず」と一言添えられることもありますが、拙寺であってもそれは同様の事。
「そんなことはわかっている!!」という思いが本当のところですね。
もっとも観光でフラり、一見さん~見たこともない来訪者のリクエストに一つ一つ応えるというのはお忙しい寺であれば難しいことかも知れませんね。
先日、拙寺の喚鐘(半鐘)についてその存在を問う来訪者がありました。浜松からやってきた男性2人でしたが、趣味で半鐘を専門に追いかけていると。
同様の趣味をお持ちの人はそうは居ないようで、私の墓場放浪などよりもかなりの特殊性を思いました。
聞けば半鐘に関する見識も深そうで私の方がその人物に興味が沸いたほどです。
また私が大いに驚かされたのは「静岡県史を見ました」と。
私としては初耳でしたからね。
拙寺のあの鐘がそれに掲載されているなど聞いたこともないしまさに半信半疑でした。
まぁあとから探す楽しみが増えましたね。
するとやはりその言葉「非公開ですよねぇ・・・」が彼の口から発せられました。
私も話の流れからそうなることと半ば期待していましたので(時間も十分にありました)「いいですよぉ~♬」と二人を庫裏の仏間に通しました。
そして彼らは念入りに鐘のサイズを計測し各方向からの画像を収めていました。この世界もかなり奥が深いものがあるのだと思った次第です。
私は「何か発見があったら知らせてください」と見送りました。
ということで昨日はその静岡県史の拙寺の鐘の記載部分を探しに相良の史料館に。
すると天正十一年の項目の最後(日にちなし)にしっかりと記載がありました。
そちらの静岡県史編纂は平成八年版ですが、おそらくそれ以前のものから何かしら県の方での記載はあったのでしょうね(昭和60年度~平成9年度にかけて編さん作業、通史編7巻、資料編25巻、別編3巻の計35巻)。
父はその件何ら触れていませんでしたので祖父の時代のことだったのかも知れません。
私も時々その時代のページを捲ることがありましたが、これまで全く気付かずにいました。
私の最も身近で信頼性のある史料、静岡県史にこの鐘の件のみではありますが、その記載があったということは「日本城郭大系」の相良城の項目に拙寺の名が記載されていることに続いてまさに「気好し」イイ気分です。
イイ齢こいて頭の中は軽すぎますね。
その鐘については既にこのブログのどちらかにて記していると思いますが(探索中)、今井権七が前年の「本能寺」の朗報、信長からの包囲戦から解放され命を得たことに歓び勇んで自坊のある遠州に下りいよいよ仏門を興すにあたって、一緒に遠州に下向した五家のうちの一家「増田家」の奥方からこの鐘を寄進されたということでしょうね。
まさに信長の死こそ私たちの生命存続の「祝宴」でした。
仏門に居る者として人の死を祝うことに対して憚るべきところではありますが、信長の場合「人」というよりも「怪物」でしたからね。その抵抗の最前線に居た者たちの歓びは優に想像できます。
そして、父親の記したこの鐘の記述について新たに気づいたところがありました。
昭和の受難、金属回収令に命拾いしたことは私は本堂の下に穴でも掘って隠していたからだと思っていましたが、しっかりと鐘楼の鐘と一緒に軍に供出させられていたようです。
終戦後「取りに来い」の通知にほっとし、尚期待しつつ回収に向かったところ鐘楼の鐘は既に溶かされていたという「残念」についてはかねてから聞かされていましたが実はその際、この半鐘は工場に山積みされている中から探し出したそう。
父親の記した書面には天正11年(1583)の作であると「保護」(軍が持ち出さない)には「40年足らなかったから」とありました。
鉄砲伝来以前(1543)のものはセーフそれより新しいものは鉄砲の弾にされるというのはシャレですかね。
それを決めている軍部の発想もかなりお寒いところが見て取れます。
そもそも仏具を溶かして人殺しを継続しようなどいうものに対して仏罰も起こるでしょうよ。
そして対信長抵抗の一の標語が「仏敵信長」でした。
仏敵は必ず滅びる・・・それも歴史。
尚、「静岡県史」は「資料編8中世四」です。
コメントをお書きください