摩崖わらい仏 中々妙は「巧言令色鮮し仁」

この三日間、毎日「明日は今日から2度下がります」の予報を聞かされ続け、やはり庫裏の中は殆ど真冬。

一旦温かさを味わった身には堪えます。

浜岡の伯母へ差し入れを置いた帰り途、朝比奈の川っ淵を走りましたがまだ咲いていない桜も多くありましたね。

東京の桜はピークアウトした感がある中、今年の当地はどうかしてしまっているよう。

もっとも横浜あたりの朝の気温は6度といいますからこちらより余程寒そうですが。

 

先日は北陸道で多重事故がありましたが、トンネルを出た瞬間、降雪によるシャーベット状の路面でスリップしたのがきっかけと聞きました。

この時期であっても天気予報のチェックは必至。そして油断などあってはイケませんね。

北陸道は今度の遠足の下見に向かうことになっています。

 

このような寒い日はおそらく奈良京都は0℃近くまで下がっていることでしょうね。

私はついあの仏さんことを思い出してしまいます。

 

当尾(とうの)の摩崖仏の中でもかなりメジャークラスの仏さんで色々な場所にその案内板が立っています。

勿論阿弥陀さんで三尊形式の座像です。

お顔は素朴で「怖くない」が第一印象。

まじまじ顔を覗き込めばうっすらと微笑んでいるように見えます。柔和な仏の姿をこの世に具現化したいという作者の試みがわかるような気がしますね。

 

耳をすませば例によって川のせせらぎの音、「ここは彼岸か・・」と思わせるロケーションでなお人気のない野原です。

あの「ミロク摩崖仏」の前にもこちらへの案内板がありましたからおそらくその前の道でもいいのでしょうが私は岩船寺前の駐車場に車を入れて歩くことにしました。

案内板がなければ絶対に辿り着けない場所ですね。

 

近くに岩船寺、浄瑠璃寺という二大古刹の阿弥陀さんがいらして、両寺とも観光バスの往来がありますが、大抵のそういったお客はこちらまで足を伸ばすことは無いのでしょう。あの時はどなたともすれ違うことはありませんでした(場所はこちら)。

 

拙寺と相良の代官小島蕉園との関わりの強かったことを知るようになってから私は蕉園に強く触れるようになりましたが、小島蕉園といえば「仁政」ですね。

昔の私の「仁」のイメージと言えば任侠道「仁義なき戦い」などのヤクザ映画でどちらかといえば好きな文字ではありませんでした。

しかしこの字は「仁政」の通り、本来は裏社会のその「仁義」とは全然違うものです。

「他者に対する親愛の情、優しさ」がその「仁」が表す意味ですね。よって「仁政」とはその「仁」をもっての政(まつりごと)のこと。

まぁその手の「仁政」と呼ばれる指導者に私の知り得る限り生憎と小島蕉園しか知りませんが。

もともと儒教的な考え方ですが、仏教の「仏の作用」でもありました。

衆生に向けて降り浴びせる雨山の如くの慈悲が「仁」でした。

 

その「仁」といえばもう一つ、はるか昔のNHKの辻村寿三郎の人形劇を思い出します(新八犬伝)。

「仁義礼智忠孝悌」の語はその番組の坂本九の歌で覚えました。

子供の頃の記憶とは格別のモノがありますが、その番組の中で忘れないキャラが「さもしい浪人さもじろう」(左母二郎)ですね。その時「さもしい」という語を覚えました。

子供の時にテレビを見ていると父からはあまりいい顔をされませんでしたが、案外と勉強になっていたのですね。

 

その「さもしさ」を見たのは例の元号の件、人々が号外を奪い合う様子でした。各地で同様の景色が見られたそうですが明らかに異常としか思えぬ風景。

あれら騒ぎに参加していた人は反省しなくてはなりませんね、恥ずかしすぎでしょう。群衆の中で奪い合いするのが「新聞」であるというのも奇異なことですが「それまでして手に入れるもの ?」というのが単純なところ。

 

何よりその折角の「必死」の気分に水を差してしまうようですが、そもそもあの「令」はイマイチの気がします。

その字の如く「今+1」ということではありません。

感想としては一見したところでも下の字とのバランスが悪くかなり違和感あるものでした。

 

私は以前退位前にされる元号の決定に「さてどんなものに・・・」と結構に心弾ませて奥の墓道氏と「寿司」を掛けて「新元号当て博打」と称し楽しもうという企画がありましたが、時間が経つににつれて徐々にトーンダウン。

最後にはどうでもよくなってそれに触れることもなくなりました。

それは「なんだそうだったのか」と総理殿はじめ政治屋さんたちの独断政治ショーであることがわかってきたからです。その決定にはあの人たちの恣意が入るということですね。

 

よってバカバカしくなってその決定には触れまいとしていました。昨日ブログでは最後の一行に

「本当の平和、口だけでない真のものを願って止みません。」とだけ記して終わったのですが、やはり言いたい放題のブログで黙っているのでは無意味と感じてまた歓迎ムードの「さもしい大衆」の姿を見たことにもショックを受けここにまたいつもの嫌味を記させていただきます。

 

私の感想をいえば何度も記しますが「かなり違和感のある字」でした。

単純にもっとイイ字があるのに「この字かよ」ですね。

出典を万葉集とは言っているもののやはり私の「令」のイメージは「律令」の「りょう」。

アレを見て「りょうわ ?」と読んでしまったほどです。

ということで第一印象は命令の「令」、「上から目線」の感覚でした。

 

今の政治屋さんが選びそうな字ということがわかりましたのでやれやれ感満載。今後はいよいよ「西暦だけにしようかなぁ~」とも思ったくらい。

当のお国の外務省などは「西暦だけにする」宣言もしていましたね。そもそも二種の年の数え方など面倒くさいものがあります。

 

さて、その人形劇の主題歌の坂本九の歌のコーラスにその「令」が出てくる箇所があります。昨日のテレビ番組でもその指摘があったようですね。

 

歌では「袖触れ合うも多生の縁 巧言令色~」とありました。「巧言令色」とは「言葉をうまくかざり、顔色をうまくつくろうこと」ですね。

要は今言うオレオレ詐欺みたいなものです。

よって「令」には「信用するな」の雰囲気が漂います。

その変なイメージの「令」と平和の「和」をくっ付けたとすればカタチだけの平和、口先だけの平和の如くで・・・まるで総理殿の本心が見えてしまったようで・・・妙な感じですね。

ニヤリとしてしまいました。

 

本来のこの文字は表記の如く「巧言令色鮮し仁」(こうげんれいしょくすくなしじん)。「鮮し」は「少なし」と同様。

そして「剛毅木訥仁に近し」(ごうきぼくとつじんにちかし)と続きます。

私みたいに「いつも笑顔」などといって顔を緩めて歯を出しているのはダメなのですね。信用無し。

 

あの元号の件、選定選択は「日本の古典から」を強調したそうですが中国では「万葉集」は「中国文化の影響を受けまくり」・・・など意見がありますね。

そもそも「元号」というものは中国を真似たものでしょうしそこのところも続いてニヤリとしてしまうところです。ちなみに古い時代のその「律令制度」も中国をお手本にしていました。

 

しかしまぁ噂されている「中国出典は排除する」の単細胞的雰囲気は変てこです。

日本の歴史は遣隋使・遣唐使から日宋・日明貿易、大陸仏教の影響など切っても切れないところだと思うのですが。

第一に日本人のDNAは大陸や朝鮮半島から帰化した人たちの血が流れているというのが一般的な考え方です。

そして仏教を排除しようとする動きに繋がるとすれば明治維新と同様。

その後戦争世界に突入したのは周知の通りですからね。

「歴史は繰り返す」ことは承知していますが。

 

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コメント: 4
  • #1

    小山昭治 (水曜日, 03 4月 2019 09:16)

    騒ぐことはありませんね。
    もう少し時間が流れれば落ち着くでしょう。
    号外の奪い合いを見ると、ここは中国か?と思ってしまいます。
    それだけ自己愛、我欲が強いのでしょう。そんな世の中です。
    足るを知る。人の振り見て反省しきり。(その時だけでもね。すぐ忘れますが。)

  • #2

    今井一光 (水曜日, 03 4月 2019 19:27)

    ありがとうございます。
    人を押しのけてでも欲しいものは奪うという制御不能の大衆心理が見られたことは
    大きいと思います。
    群衆心理というかあれほどの醜態を見せるのは驚きでした。
    日本人とはもっと謙虚な国民性であると思っていたからです。
    変わったのですかね。

  • #3

    河辺健一 (日曜日, 07 4月 2019 21:05)

    時々住職のブログを拝見させていただいてます。
    今回は新元号についての見解をうかがいたく、久しぶりにおじゃまいたしました。
    自分と似た印象を持つ人がやっぱりいたのだ〜と、意を強くしました。
    ちなみに「さもしい浪人さもじろう」という名前も、かなり久しぶりに思い出させていただきました。
    それも含めて、Facebookでシェアさせていただきます。

  • #4

    今井一光 (日曜日, 07 4月 2019 21:47)

    ありがとうございます。
    そしてまたうれしいお言葉を・・・

    あの番組の「さもしい~」が懐かしい・・・などと記せば御年がバレるというもの。
    しかし子供向けでかなり難しい表現をしたものだと思いました。
    おかげで一生忘れることがないフレーズとなりました。
    私はそのように後ろ指を指されぬよう生活しなくてはなりません。