周囲が土塁と空堀 海軍工廠 外に逃げられない

例の下手人の身柄が確保されて、少しはあの「アポ電」というオレオレ特殊詐欺の電話は減っていくのだろうと思いきや、相変わらずその手の電話が掛かっているよう。

まぁその手の悪だくみグループがあったとして、逮捕された彼らを支援するために精力的に電話を掛けまくっている可能性もありますが(一同「身に覚えがない」と神妙でないところ、「本件別人」の錯誤を惹起させようと)年配者を騙しあるいは殺しまでして楽をしようという若者がたくさんいるということは恐ろしいことです。

 

弱い人から手っ取り早くカネを巻き上げるということが個々のレベルであっても「正当である」とする考え方が蔓延しているのかも知れませんが、正義とは何か、伝えるべきものは何か教育現場で今一度考察していく必要があるかも知れません。

それは自分さえよければそれでヨシの風潮です。

何故に若者の心がそれほど荒んでいるのでしょう。

 

奥方の母親は神奈川県内で独り暮らしです。

私は先般より「まずは電話帳から」と自宅の電話番号を削除することを勧めていますが、電話機そのものはそのままにありますので、以前の色々な名簿(名簿屋が集めた個人情報集)にそれが残っていればどうしてもその手のつまらない電話の色々が掛かってきます。

 

それらの対応に義母は「留守番電話機能」を1クッション入れて使っています。電話が鳴れば留守電ボタンを押すわけですね。

知り合いの声を判別したり、まともな相手かどうか聞き分けてから受話器を取り上げるという算段です。

在宅でも不在でも留守電にしていますので、所在不明の電話に対しては一切関わらないというものですね。

 

そもそも特殊詐欺系の電話は留守電のアナウンスが出れば即ガチャ切りするものです。

拙寺も留守電機能がありますが、今のところ相手先番号を確認して(ナンバーディスプレー)出ています。

基本「0800」「0120」は絶対に出る事はありませんが最近は携帯電話や掛川あたりの市外局番での着信を「踏む」(地雷の如く)ことがあります。

「やっちゃった」のため息ですね。

今、よる8時過ぎの機械音声の何かの勧誘が週1ペースでありますがこちらの方でガチャ切りしますので何かわかりません。

 

さて、豊川海軍工廠平和公園のつづき。

あのエリアは500ポンド爆弾の直撃が少なかったこともあって、今も二つの建物「旧第三信管置場」(画像④~⑪)「旧第一火薬庫」(⑫~)が残っていて、1日4回のボランティアガイドをお願いできます(時間制)。

また豊川市では平和教育の一環としてこちらでの小学生の研修を行っています。戦争遺跡を保存して生かしている姿がうかがえます。

 

この「平和教育」は大事ですね。

敵対する対象を生じさせず思いやりと一所懸命に命を生かすことに集約する教えです。

若くして死ななければならなかった多くの同世代の者たちがあった場所で「どう生きなければならないか」を自分で発想してもらうものです。

そういう意味からして豊川市だけでなく周辺の教育関係者はこの地を平和とは何かを問う題材にするべきですね。

殺伐とした世の中を生きていく若者にまずは「本当の辛かったお話」を聞いてもらってから・・・それからを考えましょう。

何といっても広島と長崎の間に起こった悲劇の地ですからね。

 

こちら周辺の区画された道路を通過していて土塁の存在に当初は「何だろう」と。

のちに工廠周囲の土塁だということがわかったのですが、やはりこの手のものは外部からの侵入を防ごうとする目的が第一義。

あの爆撃の際、それらの設置が外部への脱出を拒んで多くの学生たちが逃げ遅れた要因になったといいます。

何から何まで無意味。

 

⑪はコンクリート打設の状況。

バイブレーターが無い時代ですので気泡が甚だしいですね。

木質材に「豊川線長篠駅前」の文字が見えます。そちらの材木屋さんの名でしょう。

お隣の敷地には手つかずの戦争遺跡が残っているようですが木が茂って森化しています。

定期的に見学会が催されていますので豊川市のサイト(豊川海軍工廠平和公園)を参考にしてください。