小和田先生の福知山での提案光秀堤 賛成 !

三寒四温などいう春の言葉がありますが、どこかで聞きましたが「それはウソ」のよう。

その語源は大陸の冬場のおはなしのようで、日本の春にこじつけてそれを囃すになったとのことですが実際はそのようにはならないというのが本当のところ。

 

そういえばここ数日「四温」どころではなくて温かい日続き。また「一寒」もないような。

日も長くなって無風、昨日は今年初めて半袖になって作業をしたくらいです。

 

さて、小和田先生は福知山にて講演されていたのですね。

当その地は来年の明智大河でこれからの盛り上がりは必定ですから、駿府城新発見もあって先生は今年も忙しくなりますね。

大河ドラマはこのように「関係各地が盛り上がる」という意味でもその主役とストーリーの選定は大事です。

特に明智光秀の出張った地域は複数でこれからそれぞれの地でお祭りになるでしょうね(拙ブログ明智つながり)。

 

そちらで先生が提案したというのが「明智藪」の件です。

この明智藪とは小栗栖の明智藪(またはこちら)の「藪」とは違います。

福知山の明智藪と呼ばれるものは堤防のこと(蛇ヶ端御藪)。

 

人工的な堤に竹を植えて竹藪とし若狭湾に注ぐ由良川の氾濫をおさえようと明智光秀が考案したといわれています。

竹の地下茎はしぶとく大地に張り巡らされますから堤の強度はアップするでしょうからね。

 

小和田先生が提案されたのがその「明智藪」の名称変更です。

通常どなたでも思うそれは明智光秀の終焉の地のイメージですからね。

二つの意味があるにしろどう考えてもその名こそ全国区で皆さんが想うところでしょう。

 

そこで先生の新名称は「光秀堤」。

また「藪」となると以前から「藪の中」の通り、まずは「ワケわからん」という感じがしますしね。

光秀の名のあとに「堤」と確り名称に入れていただければ一体何なのか誰もがわかるというものです。

 

「治水名人として知られる武田信玄の信玄堤、加藤清正の清正堤にならって光秀堤といった方がいい」とのことですね。

 

②画像は由良川上から福知山方向。△の単独丘は高龍寺山でしょう。

以前福知山城をブラついた時のもの(場所はこちら)。

⑤⑥辺りが「蛇ヶ端」。この蛇という字も龍という字も河川の近くにあれば過去の暴れ川をイメージします。ちなみに川が無くてその字が登場すれば土石流です。

蛇も龍も「イメージが悪い」と名を変える(地名のキラキラネーム)ことは控えるべきですね。

先人は未来への警鐘のためにそう名付けたのですから。

 

新規提案の「光秀堤」の改名とは違います。

④の方の単独丘陵は「前田愛宕城」でしょうか。城郭大系によれば2度ほど合戦があったと。

それは福知山の名のり以前の横山時代の城郭ですね。

尚、福知山城は1986年に完成した復元天守ですが別名はその横山城または臥龍城なる名もあります。

よって1980年に出版された城郭大系の写真には天守閣はありませんでした。

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コメント: 2
  • #1

    がつお (火曜日, 12 3月 2019 20:18)

    ブログからだいぶ日が経ってしまいましたが福知山つながりで一つ
    私のご先祖様の初代の伯父と思われる人の子孫のお墓(若しくは石碑)が福知山にあるそうなのですが、どうやって探したらいいかを思慮しております。(既に喪失している可能性大ですが)
    元々は槍術で朽木家に仕官できたと思うのでその線で探すか、ご先祖様の菩提寺と同じ妙心寺派のお寺に聞いてみるか、など結局は下手な鉄砲も数打ちゃ当たる的な戦法をとるしかないかと途方に暮れています。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 13 3月 2019 09:22)

    ありがとうございます。
    地道に足で稼ぐという方法が一番でしょうね。
    とにかく福知山朽木氏の菩提寺には行ってみたいですね。
    一番安直な方法は片っ端からこういった人物が過去帳にありますか?とアンケート形式ではありませんが返信用封筒を入れて送り返してもらうという方法もあります。
    江戸期のものなら過去帳さえ残っていれば探索可能ですから。
    「時間がある時調べてね」程度で気長に待つしかないですね。
    しばらくたって連絡が来なかったら寺には電話攻撃です。
    おそらく「知らない」「わからない」という部類でしょうが。
    「わからない」ということがとりあえず「わかる」ということですね。
    いずれにせよひとつひとつあたっていくしかないと思います。