その名はいろいろあるが 転害門 「景清」の名も

「天涯孤独」なる言葉があります。

以前はちょっぴりカッコいいかも・・・(木枯し紋次郎・・・座頭市・・・一匹狼)という意で使用されていたフシがありますが現在に至ってはどうもイケません。

毎度、人生に於けるコロコロ(仏の掌の上で一喜一憂・・・)についてはバカボンのパパの口癖の通り「これでいいのだ」の合点しかないことは理解しているものの、その人生終末に於ける孤独というものにはその辛さの感覚を禁じえません。

「天涯」は「遠く辺鄙な地」という意。

そこにあって尚「身寄りがない」という状況となります。

高齢にいたるうちに伴侶とも死別、子は自らの生活を営み家を出たのちいよいよ体の不調は進んで思うような生活が送れなくなり生活自体が単調、話し相手も不在ということですね。

「人間」とは「人の間」と記すように、その「関係」が主体。

それが無くなるということは人であるのが難しいということかも知れません。

 

「子が外にいる」というのでしたらまだまだ幸福。

単身のみで老後を暮らさなくてはならない方は多くいらっしゃいますね。

昨日辺りまで記していましたがかつて賭け事と借金によって子供らに愛想をつかれてしまった年配者もいらっしゃいました。

問題点は多様で一概に「解決できる」とは言い難いところがあります。

孤独という語そのものもそうですが、「孤独死」という語も寂しくやるせない現代社会を映し出しています。

 

さて、東大寺の「転害門」。東大寺の旧境内とありますね。

現在の大仏殿付近の強烈な混雑から離れようと松永弾正の多聞城からの風景を楽しんだのち、あの若草中学校に入る道に戻って東に進めばT字路に当たりますがそちらが「転害門」(場所はこちら)。

東大寺の紹介では「平重衡の兵火(1180)、三好・松永の戦い(1567)の2回の戦火にも焼け残った」「天平時代の東大寺の伽藍建築を想像できる唯一の遺構である。鎌倉時代の修理で改変されているが、基本的には奈良時代の建物である。」

 

上記天涯孤独の「天涯」とはまったく違いますし、読みは「てがいもん」です。

「てがい」には各あて字があって伝承されていますが、私が個人的に好みの名といえば「てがい」ではなく「景清門」の方。

 

歌舞伎一八番の「景清」はじめ敵役の謎のヒーローとしてド派手なパフォーマンスに六方の花道は圧巻です。

「悪七兵衛」なる別名も憧れますね。

「悪」の冠はヒーローなのです。

ちなみにこの「悪」とは今言うコソ泥、かっぱらい、詐欺師などなど「小せぇ小せぇ~」(こちらは五右衛門と門の上が違いますが)弱者いじめの勝手者の事ではありませんね。

また「景清」はあの阿古屋の彼氏というのも設定にありました。

この門にその名があるのは景清がこの門に隠れて頼朝を狙ったということから。最近一時期は野良猫が潜む門だったそう。

 

最後の画像は近くの「今在家」交差点を入ったところにある北向地蔵尊。

古い町並みの中に至る所で石仏がお出迎え。

門の脇にも石仏・石塔が。

こういった文化財の脇に同時に参拝対象の古い石仏たちが並べられているのは珍しいですね。