田沼後の相良 小島蕉園没後200年

昨日は市長との面談をセッティングいただきました。

簡単な資料をつくってスタンバイしていましたが、体調不良につき私の出席は中止にしました。

もしインフルエンザでしたら大変ですから。

史料館の長谷川氏がいればその意図は通じるでしょう。

ただし長谷川氏は予算の方を仕切っているそうでそうだとすると案外行動は渋いでしょうね。

 

画像は以前も記したことがありますが、小島蕉園の案内板。

大正時代のものですね。

 

皇太子殿下

御成婚記念

小島蕉園碑

指導標

民事功績者

自是北三丁

在致遠峰中腹

 

こちらの指導標と小島蕉園の墓との位置関係はオカシイですね。「北に三丁(約300m)」細かい事を言うなといわれそうですが今ある場所(地図矢印)では「北東」になってしまいます。

案内版(指導票)として作られたものでおそらく当初は「赤星」あたりにあったものと思われます。

萩間川が大きく曲がるあの辺りは工事改修が重ねて行われている場所ですのでどこかの時代に大江区の墓地に移設されたのでしょう。

ちなみに平田寺住職に問い合わせるも「そんなのありました?」でした。指導票が埋もれていたのでは「指導」になっていません。

 

小島蕉園に思い入れがあるがゆえに多少のこだわりがありますが資料にて私はこの指導票を人の目に触れさせなければならないことを指摘しました。そもそも指導票があそこにあることの無意味ですね。勿論その主張は案内板を新たに作る事も提案しました。

 

そこで長谷川氏から予算がどうのとかその手の依頼は山ほどあって順番が・・・といわれてしまいましたので、「牧之原市の依頼に寺はそれぞれ順応対応してきたがそんなことなら牧之原市の依頼は金輪際一切拒絶『おいら~ケツまくっちゃうよ~』などと史料館でデカイ声でまくしたてたのですがおそらくこの体調不良は「罰が当たった」ということでしょう。

 

仏教・寺を活用というフレーズと政教分離という語にカチンときてしまいました。

宗教的対応力の欠如を惹起しているのですが、その件くそくらえですね。話は飛びますが宗教が公立の学校教育に無いということが社会を荒れさせている要因と考えます。

面倒くさそうですがすべての宗教に対応するくらいの鷹揚さが必要です。

鷹揚とは掛け離れた私が言いますので信頼性ゼロですが・・・。

数年後に蕉園の200回忌があります。牧之原市の本気度がわかるというものです。

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コメント: 2
  • #1

    漂淡堂 (土曜日, 09 2月 2019 11:29)

    体調不良とのこと、大丈夫でしょうか。
    お務めも多く大変とは存じますが、まずはしっかりとご養生くださいませ。

  • #2

    今井一光 (土曜日, 09 2月 2019 13:49)

    有難いお言葉痛み入ります。
    おかげさまで復活しておりますが土日は養生させていただきます。