ようこそ相良へ 大須賀郷土研究会のみなさん

ゾフルーザのおかげでしょう、息子から「熱は下がった」と連絡がありました。

40度超えについて「どうよ」と面白がって聞けば、既に体調回復は確実でしょう「体力消耗と吐き気で生死を彷徨った」などとと軽口を叩いていました。

 

彼が発病したのはインフルエンザのA型とのことでしたが今季そのA型には2種があって聞くところによれば一方のタイプにかかって安心していれば続けざまにもう一つのタイプに罹患することもあるそう。

 

「40度」と聞くだけで身の毛もよだつ恐怖を思いますが、それを2度までとは。あり得ません。

この時期、法事もプレッシャーを受けますね。

どうしても法事というと「少々ムリをしてでも・・・」の気持ちが先立ち不調のまま出席することもあります。

その空間で独り一定時間口を開けている(読経等)というのはある意味怖いことです。

 

さて、先日テニスの決勝で順延となっていた「ブラタモリ」を。予想通り「一乗谷」でした。

足羽山(あすわやま)とそちらで採石される笏谷石(しゃくだにいし)の件、興味深く視聴させていただきました。

5月の拙寺バス遠足の前に再訪したいと思ったところです。

 

「ブラタモリ」ならぬ相良の「ブラタヌマ」の予定は今のところ5月3日(金)の9時と14時。5月19日(日)、6月9日(日)ともに時間不詳ですが教育委員会から暗黙の了解「法事は入れないでね」の事前連絡がありました。

私も日曜日にぼんやりできるという大義が立つワケでもあります。

セッティング、解説等は史料館の長谷川氏はじめ観光課のみなさんにおまかせしていますので私の御役はありません。

 

ところで、今月は大須賀郷土研究会の主催による学習会の行程に拙寺が組まれていて観光バス1台分の皆さんが訪れます(21日)。

行程表と拙寺案内資料を事前にいただきました。

当日はブラタヌマ同様、史蹟研究会の小澤会長が同行するそうですので、私のしゃしゃり出る事はないと思っていましたが、行程表によると拙寺の次に相良油田の資料館に向かう事がわかりました。

それでしたら本堂から出てきた皆さんに石坂周造の借金の借用書で「証人」として登場した成瀬蔵と布施新助のお話をさせていただこうと思いついたところです。

 

④はマフラー持参で上がった地代の墓地。

風は強かったものの数日前ほどの寒さではありませんでした。