A box of chocolates  「一箱全部食べてこそ」の人生

知らないうちにというか突如として「インフルエンザで・・・」の言葉が飛び交っています。 

 

信じられないような数字「熱が40度」に「家庭内隔離部屋」の件もです。

法事参列者は顔に大きなマスクの着用。

ご挨拶をされたとしてもどなたか判明できませんね。

 

都内では初雪との報せがありましたが当地は午後からほんの小雨程度。有難いのは無風だったことです。

地代の山の墓参りも苦も無く済ますことができました。

風さえ吹かず変なウィルスが蔓延しなければ当地の冬などは大したことはないのですが。

ただし鎮痛剤はいつものこと。

また調子にのっていると連休明けには寒波が襲来するといいますので、ピシッとやられそうです。

 

さて、表記のチョコレートの件、当家坊守の口癖です。

奥方はあんこはじめ和系の甘いものは殆ど口にせず、いただきものとしてのそれらの対応は私のお役目となります。

拙寺には「甘いもの」はお供物のおすそ分けとして事欠きませんが、それらを全部食べていたら体に悪いことこのうえなし。

最近は「お供物は仏からの授かりもの。自身いただくことに功徳があるのだ。」とお寺に置いていくのではなく、法事が終了したら参列者でいただくのがベストである旨力説。

よって最近は食べる量も減ってきました。

坊さんに体躯がイイ人が多いのはきっとそのせいだと思います。

 

奥方は和系のものは敬遠しますがことチョコレートに関してはうるさいものがあります。。

輸入物、欧州系の結構に値の張るそれを宝箱をいじるように大切にして「一日一つ」と楽しんでいる姿を見ます。

息子や私がその箱を見つけて何となく一つばかり、摘まみ食いをして、とぼけていたとしたとしてもスグにバレますね。

「味のわからぬ野暮は上等なモノに手を出してはいけない」風に罵られたのちそのセリフ(すべてを味わってこそ)が飛び出すのです。

 

一箱のチョコレートに人生を擬えるのはなるほどわかるような気がしますね

外見上チョコレートというのはわかりますがそれぞれのデコレーション、色使い、カタチのその中身、何が出てくるか食べてみなくてはわからない・・・その色々が詰まった一箱(人生)はすべて「自身で味わってみなくちゃ」というところでしょう。

言葉を変えれば「自分の人生」であるということか・・・

 

さて、奥方のこだわりは別としてこの「A box of chocolates」は実はパクリです。

「Life is like a box of chocolates」なる言葉、映画のフォレスト・ガンプを観た方ならスグにわかります。彼の母親の口癖でした。

「悪いもイイも何が起こるかわからない」。

ガンプ・・・「間抜け」と言われ続けて育った人生も面白いくらいに多様な展開に遭遇することもある、かも・・・という映画でした。

ダメだ、ついてない、人生おしまいと決めつけて落胆、嘆くばかりでなく、また図に乗ってお調子こいてハメを外すことのないようにしなくてはなりませんね。

 

しかし一番イケないことは独り占めすることだと思いますが・・・。

「私が一番」よりも「ともにある」ことが人間にとって一番優れた考え方だと。

 

ちなみに私のチョコレートの好みを記せば国産のホワイトチョコレート。板チョコです。日本のチョコレートのがよほどおいしく感じますが・・・

 

「フォレスト・ガンプ」は洋画好きで知らない方はいないほどに知れわたる作品。アカデミー賞(作品)にゴールデングローブ賞を受賞していますが、特筆すべきは全編に次々に流れるその時代のヒット曲のオンパレードです。

それを聴いているだけでも懐かしく、ほのぼのとさせられる映画でした。

 

私の印象は特にガンプがベトナム戦争に従軍する際に流れた「Fortunate Son フォーチュネイト・サン」です。

当時のまともなアメリカ人の庶民レベルの考えは大概はそのような傾向だったのでしょう。

ハリウッドのいいところは政治に忖度しないというところですね。

 

画像①は拙寺手水場前に吊るされている軸。

その四文字はフォレスト・ガンプの和名副題でした。

②③は「飲めないのに日本酒好き」の一例。

恒例、岩村の女城主さまからのお誘いが舞い込みました。

「城」の銘が付くと、つい購入したくなります。

飲むのは「奥の墓道氏」になりますが、以前泥酔して追いはぎにあってからはあまり付き合ってくれません。

だいたい下戸にすすめられる酒など何か魂胆がありそうで警戒するはずですね。

 

この時期に岩村城に向かえばまたひどい目にあうことは必定です。ただし雪の岩村城の景色は良かったですがね。