安倍城の連郭の城か根古屋の主城塞か 内牧城

故人の法名に「勝」の字を入れることを所望されることが結構多いですね。

名前そのものにその字が入っていることもありますが、まったくそれ以外、敢えてその字を使うよう求められるということです。

先般のその会話の中で盛り上がったのは「そうだ!賭け事が大好き」でした。

 

経典にも複数出てくるその「勝」の字の意味は今普通に意味する「勝つこと」ではありませんね。

その件、ブログでも何度か記しています(本多忠勝・・・勝事や・・・または道誉の墓・・・そして正信偈の中にも・・・)が、どうしてもその字のイメージが強すぎてその字を採用したからにはどうしても・・・ということで一言付け加えさせていただいています。

 

というのもその意味(勝負)では仏法の説くところとは正反対になってしまいますからね。

特に阿弥陀仏別名の」「無量寿仏」の如く「何も量らない」がその思想ですので、相手というもの(しばしば敵)の存在、要はその者に対して優位性や劣等の指針を持たないしそもそも存在しないのだというのが根本的考え方でした。

 

そうはいっても「優位性」としてこれは「必要だ」と思うのが薬の効果です。

偽薬よりやはりこればっかりはホンモノがいい。

病を克服するためにはその優位性の思想は肝要ですね。

「生老病死」(四苦)のうち「病」という人類必然の「苦」から少しでも解放されるようよりよい「勝れた」薬の登場が待たれます。

 

さて、昨日の安倍城の周辺城塞の名として「内牧」という名がありました。

地名としては安倍城主郭から下った安部川側の地域です。

増善寺の慈悲尾(しいのお)は現在静岡地区の斎場になっていますがそれをさらに安部川を上流に(場所はこちら)。

目安としては新東名高速の高架の向こう側辺りがその内牧ですがその手前が西ケ谷運動場。その西ケ谷の名も安倍支城らしきものとして登場していました。

 

以前よりこの内牧の城砦存在は言われてきたことで、静岡市では大々的な発掘調査を行っているといいます。

この内牧の城は平時の狩野貞長の居館があった場所と認識されるようでそうなるとこちらから安倍川に至る内牧が狩野一族の根古屋となっていたかとも考えられます。

 

①西ヶ谷運動場プール付近からの安倍城。

②新東名高架を潜らずケアハウスの建物に向って左手を上がります。③を右に。

害獣用電気柵がありますが人的拒絶ではないと解して進みます。するとスグこちらの石碑が見えます。

比高は大したものではなく安倍川の氾濫から逃れるという意味あいが強い居館の位置でしょう。

また当然にこちらから安倍城に上る道があるはずですね。