薩摩土手は信玄堤のコピー 井宮神社からスタート

みなさんひょっとして御無理しての帰省はリスキーかも知れませんね。計画通りといいつつ「とりあえず出発」の一歩は多大な苦痛が控えているような気がします。

天気予報を甘く見たらヤラれるということです。

 

年末年始の天気は寒波の影響で大荒れとの予報が出ていますが、この寒波には太刀打ちなどできるはずもなく。

こうなったら家に居て暖かくしているのが一番ですね。

 

東海地区でも遠州灘に突き出た私どもの住まう地にどれだけの寒波が訪れようとも絶対といえるくらいに「積雪はナイ」と断言できますが遠乗りとなれば東は箱根、西は関ケ原と、「雪に危うい」場所の通過がありますね。

 

雪に関してはどちらかで記していますが「私は大丈夫」の準備があったとしても道路は大衆の中に居ると同然、大いに他者の失策に巻き添えになりつつ降雪に逼塞させられることは目に見えています。

言い回しに御幣があるかも知れませんが、他者の凡ミスをきっかけとして連鎖的後悔の渦に巻き込まれてしまう、そんな状況に陥る可能性が大いにあるということです。

 

家族引率の場合は特にお気をつけください。ムリはせず、ここは一歩立ち止まって考えること、状況の把握が正しい選択です。

「正」の字は「一歩 止まって・・・」でした。

 

さて昨日は工事業者の奥さんが鹿児島出身ということでお持ちいただいたさつま揚げを食しました。

こちら地元でも小田原でも同様の食べ物はありますが、このほどお初にいただいた薩摩のさつま揚げの食感はいつものものと少し違いました。当たり前と思っていたズッシリ詰まった歯ざわりではなく、ふわふわ食感で少し甘め・・・おでんに向いているかも・・・。

 

そして昨日記した井宮神社

掲示板には「薩摩土手」なる文字がありました。

「妙見さん=さつま土手の守護神」です。

そうですね、井宮神社の鳥居の西、道路を挟んで土塁が安倍川方向に延びていますがそちらが薩摩土手です(場所はこちら)。

 

こちらは家康が慶長年間に行った駿府城外郭工事の一環で天下普請、諸大名が動員されたわけですがその名の通り、初代薩摩藩主の島津忠恒が手掛けたことによって「薩摩」の名が残っています。

 

こちらの土手は信玄発案の霞堤(かすみてい)-「雁行性堰堤」なる堤の家康版の痕跡です。

家康が甲州で目にした信玄の築いた堤に感動してそれを自らの城の周囲の堤として採用したといいます。

要は直線一本ではなく「切れ目」のある堤防。

水勢に全力逆らわず水の逃げ場を作りまたその水を生かすという日本古来土木の最高峰の知恵でした。

 

治水堰堤工事は、水を敵軍と見立てての城下防御の土塁に、また霞堤などの工法を採用することによって水利を効率的に活用できるというものです。

なにより城下町と民の命を守ることが第一義で常にそこへ頭を向けていたのが政でした。