研修会の次の日は、冷たい風が吹いて相当寒い一日でした。
関東では雪が降っています。
本当にあの穏やかな一日には感謝してもしきれないほどでした。「それが終わったら福井へ」という計画は天候悪化の予報につき中止としましたが、もっともあの「ガラス事件」の直前に
歯の詰め物が取れて歯科医通いが決定していましたのでどちらにせよどこにも行けませんでした。
このほど特定された道路においてチェーン規制が強制力を持つようになるようですが福井県内にも指定がありました。
今年の春先の首都高にて積雪によるべらぼうな大渋滞事案がありましたがその件に対応しようと「冬期道路交通確保対策検討委員会」なる何やら難しい名前の会が立ち上げられその「規制する」が決定されたとのこと。
生活道路として使用している地元の方々はその「余計な」規制に面食らっているといいます。
まぁ机の前でネクタイなどしているどなたさんかが、「そうした方がイイかも」なんていった調子で決めちゃった感がありますね。
私は若き頃箱根新道入口(早川口~湯本)にてチェーン規制の車止めの係を担当したことがありますが、まず雪で身動きできなくなる車はトレーラーか大型トラックばかりでした。
しかし大型車のタイヤにチェーンを付けるのは大仕事になることはわかります。外は寒いし・・・。
「まだ大丈夫 イケイケ !」の気持ちで「えいやぁで上がっちゃう」というところでしょう。
山に上がる一般車についてはまず自己責任でした。
「規制が出ています」と車を停めて警告しますが、まともな人はここで引き返します。しかし言うことを聞きそうもない人には「どうぞご自由に」のスタンスでした。
ごちゃごちゃ言っても「お前の指図は受けねぇ」という輩もいてこちらとしても「そんなら知ったこっちゃあねえや」になりますからね。
その手の人に限って山の上で「動けなくなりました たすけてください」の一報を入れてくるもので、「さっきのあいつか?」と、つい思わず「ニヤリ」としてしまいました。
また聞く耳を持たない人間の行く末の皮肉的結果をまじまじと感じたものでした。
小田原の上流の山北の河川ではバーベキューをしていた人に県の職員が「増水しているから危険です」と警告をした際、罵声でもって言い返したグループが散々な目に遭った事も思い出されます。
「雪で動けない」のヘルプは市街から「ウニモグ」を一車手配しなくてはなりませんので時間を要することになります。
道路公団の発注というカタチになりますので税金を使ってタダで救助するということになりますが基本的にその車が通行を遮ってしまうことによってチェーンを装着している車両をも通行できなくって公共の迷惑となるからです。
どう強制力を持たせて違反者にペナルティを与えるかの詳細は知りませんが、すべて一律に地元・余所者関わらずチェーン規制などを行えば、チェーン装着渋滞が起こることは目に見えていますね。
日本の道路は狭いですし、既に降雪があって規制を出すなどすれば道路わきに搔き集められた雪のためチェーンの装着場所などは確保できないのではないでしょうか。
近江~越前、木之元からの道路も対象になっていましたがもはやその地域に「冬季は行かない」というのが一番の選択肢です。それならチェーンも不要です。
それが唯一の私たちの降雪対策。
何より他人さんの不注意をきっかけにして面倒に巻き込まれるというのは御免です。
その委員会の皆さんにアンケートしてみたいです。
「チェーンの装着できますか??」
さて、箱根新道ではなくいわゆる旧1号線(箱根駅伝で走る道路)は
祝祭日となると大渋滞になります。
小田原地元の連中はそんな時には林道経由で小田原に向かうのは必定。しかし時として道が無くなっていたり橋が落ちていることもあるような道でした。私も一度2/3程度降りたところから橋が無くなっていて引き返したことがありました。
現在はどうなっているのかまったく不明ですがほとんどバクチのような道です。
奥方といつかのG.Wに強羅の美術館に行った際、渋滞をおそれて車はやめ往路に箱根登山鉄道を使用したときのこと。
帰りの強羅駅には人で溢れてかえってくさくさするほど。
その林道を徒歩で帰ってきた事があります。強羅駅から宮城野に降りて早川を渡ったあたりにその道はあります。地図にはしっかりと記されていますね。
ちなみにその近くには「箱根の森小学校」がありますが私が小学校の夏の林間学校で宿泊した際は宮城野小学校という名だったと思います。
その道を小田原方面に進むわけですが、延々と続く山路を抜けて人家にぶつかればそちらが「久野」になります。途中早川下流方面、「荻窪」に抜けられる道もありますが・・・。
この久野の小田原寄りの段丘には古墳が点在していて、私が小学校の頃はそれが夏の研究発表のテーマでした。このブログと同様ただのご紹介程度のものでしたが・・・。
その久野を下っていくと山王川という川があってその手前から小田原市街地にショートカットする道はありますが、それを無視して久野街道というこちら久野のメインストリートに出ます。すると殆どS字の如くのコーナーにぶつかります。
そのコーナーの真ん中あたりに立つのが「中宿公民館」。
その入口脇に中部近畿では見かけない石標があります。
このコーナーが小田原総構の虎口としてあったのかと思わせるのが村の内・外の境界・結界を示唆する道祖神の存在です。
ただし移動据え付け可能の石仏ですから推測となります。
そして「寒念仏」「念仏供養」。
その双体道祖神、五輪塔残欠と一緒にあります。
こちらは念仏講の類とは思いますがおそらく寒修行の意味合いが強いかと。
講はまず施主、幹事の自宅のお勤めですが、こちらは寒中限定(1月初旬から1か月)で外を練り歩くとも聞きます。
一地域代替わりで供養塔を新調したのか、周辺地域のものをたまたま集めたのかは不明です。
江戸期(寛政)の年号です(場所はこちら)。
コメントをお書きください